As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

自宅へ戻りました

シリコン入れ替えオペからの1週間は本当に「怒涛の日々」でした。

10年近く前にパーキンソン病を発症してから次第に要介護状態となり、昨年から療養病棟に入院していた父方の祖母の容態が悪いと聞いたのは今月初めごろでした。
結構切迫した容態だったので、あまりこういうことに準備というのも気分的によくないですが、現実問題として久しぶりに美容院に行ったり娘の服を準備していました。そしてもしオペ前にそういうことになれば延期するしかないだろう、と思っていましたがちょうどオペのころに「一旦持ちなおした」と情報が入り手術は予定通り受けられたのです。
術後3日間に渡った発熱がひき、でも抜糸まではあまり家事も思うようにできないので、抜糸まで実家にお世話になろうと思い、日曜日に実家に帰りました。そして翌日からの仕事のために夫だけが自宅に戻ろうと出発した5分後に祖母の病院から電話が来て-
それから水曜日まで非日常の連続、怒涛の日々が始まったのです。

祖母について正直に書いてしまうと、亡くなるまでは「ものすごく思い入れがあった」というわけではありません。子供のころから常に母を苦労させてきた祖母だと思っていました。自分はやはり「嫁が産んだ孫」なんだなと思うこともしばしばあり、祖母の実娘が産んだ従姉とは差をつけられてる?と感じたこともありました。私が成人したころからだんだんと介護度が上がっていきましたが、そのころには長男の嫁である母にすべてが押し付けられ、おじやおばはすぐ近くに住んでいるのにほとんど顔を出しません。自宅での介護が限界になり、デイサービスやショートステイなども利用するようになりましたが、都市部とは違い親類や近所の目があります。こんな状態になっても祖母は母に憎まれ口をたたくこともしばしば、全く先が見えずに両親の疲労度は増していくばかり、私も妹も介護を実際に手伝うことはなかなかできない状態でした。私自身が自分のことで精一杯の日々だったこともあります。

だから、祖母の生前「もしおばあちゃんが亡くなったらお母さんのお疲れさま会になってしまう」とも言ったことがある葬儀も、実際にその場になってみると全然違いました。
葬儀の流れがバタバタと進んでいく中で、「もうおばあちゃんはいないのだ」という寂しさが俄然と心の中に持ち上がってきたのです。そして60年以上連れ添ってきた伴侶が先に旅立ってしまった祖父の姿にもじーんとくるものがありました。祖父も現在では車いすなしでの移動はできず、今後の両親の生活は祖父の介護が中心となります。

葬儀の日程が進む毎日の中で、ここ数年ゆっくりと話をしたことがなかったおじやおばと久しぶりに話をしたり、10数年ぶりにいとこに会ったり・・・時間の隔たりを埋めてくれたのがおばあちゃんだったように思います。だからおばあちゃんへの感謝の気持ち、これからは忘れちゃいけないなと思っています。両親にとっても、今回の祖母の死は1つの区切りとなり、また大切な気づきがあったそうです。

祖母の冥福を静かに祈りたいと思います。