As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

アイシテル ~海容~

一気に見てしまいました(ネットをさまよいつつ…だから寝不足)。

加害者、被害者、どちらの方もこれ以上苦しい展開はないですね。フィクションと分かっていてもすごく臨場感がありました。些細な歯車の狂いが徐々に歪みを深めていき、些細な力が爆発を誘導するーそれは確かに現実に起こり得ることかもしれません。

最終回にどう着地するのか…多少出来すぎの感はありました。本当に1年での出所はあるのか、事件当初、少年の母の実家にも嫌がらせがあり、祖母は書道教室を閉めたのに、転居することもなく少年の出所後家族が穏やかに暮らせるのはなぜなのか(でもネットには流出している)。少年の父方の親戚は最後まで出てきませんでした。

なにより、ドラマの主人公が加害少年の母であるからどうしてもそちら側の視点が中心になってしまうけど、被害者の家族の人柄が出来すぎている違和感を感じました。

少年の犯行だから、家裁調査官の富田さんも警察関係者も「智也君」と呼んでいて、富田さんも智也君とお母さんに寄り添っている。少年だから懲役刑に処すことはできず、更正するための教育を施す。
でも、だから被害者の気持ちが納得するのでしょうか?

キヨタンパパの「憎しみを抱いて生きていくしかない」という心の底からの叫びを受け止め、包んでくれる人はいたのでしょうか?
富田さんはキヨタンの両親には会うけれど、それ以上のことはできないんですね。

そのキヨタンパパも最後にはキヨタンママや姉と一緒に悟りを開いたような心境にたどり着きました。短期間にそこまでの心境になれるほど「できた」人がどれほどいるでしょう?
現実には犯人を憎み、犯人もまた死ぬことを欲して、一生呪縛から解き放たれない被害者の苦しみが続くのではないでしょうか。

少年審判の難しさとともに被害者の心のケアをしっかりやって欲しいと望まずにはいられなかったです。
キヨタンママの手紙は加害少年と母の道しるべになりましたが、キヨタンママは自ら自分の道しるべを築いたー富田さんに「複雑です」と語ったその背後にある気持ちはどれほどのものだったのでしょう。

フィクションと分かっていて、被害者側に心情移入してしまいました。

重いテーマだったけど、みんなが様々なことを考えたのでしょうね。

そして、智也君の両親、小沢家の人々、富田さん、智也君、みんな演技が素晴らしかったです。