As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

ガールズ・ビー・アンビシャス!

雨ばかり降っている間に葉桜になってしまいましたが、が満開だったころ、横浜開港記念資料館へ行ってきました。

イメージ 1


元は英国領事館だった建物です。
資料の閲覧室の他に展示室があり、幕末からの横浜の発展を伝えています。

半農半漁の村だった横浜は、ペリーの黒船来航により、港町として歩み始めます。江戸幕府アメリカやイギリス等と通商条約を結ぶ前(その辺りの歴史は「花燃ゆ」を見てください)、最初に日米和親条約を結んだ場所が横浜だったのです。

明治になると横浜の山手地区は外国人居留地となり、欧米文化が大量に入ってきます。そして横浜は貿易の街として発展し、いろいろな産業も発展していきます。

横浜ではそのような発展に伴って、女子教育も独自の進歩を遂げて来ました。
それが期間限定の企画展「ガールズ ビー アンビシャス横浜山手のミッション・スクール」でした。

イメージ 2


明治に赴任してきた外国人宣教師たちは、日本の教育の発展に大きな影響を与えました。キリスト教主義のミッション・スクールを数多く設立したのです。特に横浜のミッション・スクールの歴史は古く、この展示会では明治時代に山手の丘に設立された5つの学校について、明治時代の貴重な資料が展示されていました。

その5校とは、

明治3年 フェリス和英女学校(婦人伝道師メアリー・キダーにより創立)
 著名な卒業生 荻野アンナ(作家) 原由子サザンオールスターズ
明治4年 共立女学校(米国婦人一致外国伝道協会のプラインらにより創立)
 現 横浜共立学園中学校・高等学校(東京の「共立女子大」とは無関係)
 著名な卒業生 若林亜紀(ジャーナリスト) 柳美里(作家、高校中退)
明治13年 横浜英和女学校(宣教師H.G.ブリテンにより創立)
 現 横浜英和女学院中学校・高等学校 
明治19年 捜真女学校(米国北部バプテスト派宣教師ブラウン夫人により創立)
 現 捜真女学校中学部・高等学部
 著名な卒業生 中村うさぎ(作家) 角田光代(作家)
明治33年 横浜紅蘭女学校(フランスの修道会「幼きイエス会」により創立)
 現 横浜雙葉中学校・高等学校
 著名な卒業生 八木亜希子(アナウンサー、タレント)三浦しをん(作家)

展示をみていると、写真や当時の教科書等、昨年の朝ドラ「花子とアン」の世界を思い出します。村岡花子さんの卒業した東洋英和のように都内にもミッション系の女学校は多いですが、現在の学習院である華族女学校を始め、跡見学園や三輪田学園、東京女学館といったミッション系ではない歴史の古い私立の女学校も多くみられます。

しかし、横浜で明治時代に女子教育を担っていたのはほとんどミッション系の女学校だったのです。
明治政府は男子校である旧制中学は明治初期から整備を進めており、公立の中学が数多く設立されました。今でも多くがその地域のトップ進学校、難関高校として残っていると思います(私の出身高校も明治初期に創設された中学です)。しかし女学校については整備が遅れ、明治半ばの時点で全国で公立の女学校よりミッション系の学校の方が多く存在したのです。神奈川県もこれではまずいと後れ馳せながら県立の高等女学校をようやく設立しました(現在の県立横浜平沼高校明治34年に第一回入学式)。展示会では高等女学校とミッション系女学校の教育課程の比較もありました。

公立の高等女学校と比べるとミッション系の女学校では、やはり英語の授業時間が多いのです。そしてキリスト教についてもしっかり学んでいます。

また、女学校の制服といえばセーラー服を思い起こしますが、明治の女学生は和服で授業を受けていました。セーラー服が制服となったのは昭和初期だそうです。

神奈川ではその後もミッション系の女学校が昭和初期までに多く設立されました。次第に母体である修道院や宣教師から手を離れて私立の学校法人として確立し、戦時中を乗り越え現代に至ります。

そしてそれらの女学校は、ほとんどが(展示されていた5校を含め)中高一貫校で、中学受験をしないと入れない学校です。神奈川では高校募集のない女子校が多く、そのほとんどが今でもミッション系です。
娘はそういう学校へ行きたいと行って青いバッグで有名な中学受験塾に通い始めました。旧制中学の流れを組む公立高校出身の私には戸惑いもありましたが、神奈川県での私学人気の高さや「内申点」を重視する「神奈川方式」と呼ばれる公立高校受験システムを知って、私の遺伝のために体育が壊滅的に苦手な娘が内申取れずに苦労しそうなことが読めたので、受験塾に通わせることにしました。

とはいっても、明治に創設された5校の中でもフェリス、共立、雙葉の3校は「御三家」といわれる最難関。ナゼか乳腺外科の主治医からフェリスコールが起こるけど、私にとっては「アウト オブ 眼中」(死語か?!)の学校です。とりあえず無事にどこかに受かってくれれば言うことないですが「ごきげんよう!」が今でも残る学校に通う娘というのが想像つかず、私のお尻が落ち着かないような気がします(笑)

そういう私も、質実剛健な高校時代には彼氏ができる気配が全くなかったことに見切り?をつけて、女子大に進んだんですけどね。