As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

りんちゃんのこと

りんちゃんは、娘が初めてお友達になったくるっとした目がかわいい女の子です。
娘より1ヶ月くらい早く産まれてきました。

りんちゃんのママと私が知り合いになったきっかけは、地元の育児サークルです。
勤めていた頃は寝に帰るだけだった家ですから、近所に友人などいません。そこでPCで検索しているうちに育児サークルを見つけ、さっそく登録してみました。するとりんちゃんのママから「とてもご近所なので、今度お会いしませんか?」というメールがあったのです。
りんちゃんのママも、だんなさんのお仕事の都合でたまたま東京に住んでいるだけで、産前も産後もしばらく西日本のご実家にいたということで、東京でのお友達を探していたと言うことでした。

それから私たちは何回か会う機会を持ち、子供をつれて児童館に行ったり、お互いの家を行き来したり、時には電車に乗って出かけることもありました。
いろいろと話すことも増え、私よりも少し年上だというりんちゃんのママは、結婚して10年近く経ってから待望のりんちゃんをさずかったことや、治療を受けていたことも話してくれました。
でも、私は決して自分から自分の乳房が1つしかないことや、病気のことを話すことはありませんでした。彼女が家に来る時には、目に付くところから「乳がん」と書かれたものはすべて撤去し、アポなしで我が家に来られることはないようにしていたのです。「思い切って言ってしまっても、何も変わらないんじゃない?」と心の声が言うこともありましたが「言わなくても何も不自由ないのだから、言わない」と決着がついていました。
「うちは私がずっと働いていたから、なかなか子供はできなくてね」そんなふうにりんちゃんのママには言っていたのです。

りんちゃん母娘と最後に会ったのは、去年の11月、サークルのイベントでした。
12月になり、娘が風邪をひいたりしているうち、私は乳房再建手術の日を迎えました。その時は「しばらく実家に戻るから、年明けまで会えない」と伝えておきました。
ところが、年明けにりんちゃんのパパのお仕事が4月から東京でなくなることが決まりました。
今度の引っ越し先はご実家に程近いということなので、りんちゃん母娘は実家に戻り、4月からの家を探したり、引越し準備に追われることが多くなりました。
すれ違いでなかなか会えないでいましたが、りんちゃん母娘が引っ越してしまう前に「お別れ会」をしようという話がまとまり、私たちは準備をしていました。
が、直前にりんちゃんのママが体調を崩してしまいます。いっこうに治まることのない吐き気が続き、病院に行くと、妊娠していることがわかったそうです。これにはご本人がいちばんビックリしたそうです。

お別れ会は結局できないことになり、りんちゃん母娘と仲のよかった有志数名でプレゼントとアルバムを準備して、今日郵送してきました。みんなの写っている写真をかわいく切り抜き、メッセージやお花やクローバーで飾り、かわいいアルバムができました。

もうりんちゃん母娘に会うことはないかもしれません。連絡も途絶えてしまうかもしれない。
私には最後まで「ママ友」ではあっても「自分の友達」とはなれませんでした。どこかで線を引いていたのです。そのことを知られたら表面上の付き合いもどうなるか分からないという思いがそうさせていたのかもしれません。
りんちゃんにとって東京での思い出がアルバムとして残り、大きくなってそんな過去の日を思い出してくれたら、うれしいです。
りんちゃんご家族のこれからの健康と幸せを、いつまでもお祈りしたいと思います。

-でも、娘はきっとりんちゃんのことは、覚えていないだろうな。