As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

「よいクライエント体験」とは

今日の実習は、実技指導の先生がいつもの先生と違うということだったので、どんな実習になるかとドキドキしながら臨みました。
先生は「私は教えることはしません。その変わりにひたすら実習します」と言って実習が始まり、朝から夕方までひたすら話をし、聴き合う練習、練習のハードな実習となりました。

午前中に始めてカウンセラー役になった時はもうボロボロでした。
「話は妨げることなく聴き、理解したことを相手に伝える。話の要約をすること」という始めに出されたテーマにこだわった私は、いつ要約しようかということばかりが気になってしまい、クライエントをしっかり見ることも忘れて、目が泳ぎまくり、なんとも心もとないカウンセラーになってしまいました。

お昼休み前に先生が「君たちは、いいクライエント体験をしていないようだ」と講評したのですが、その意味がよく分からないままにみんなブツブツとつぶやきながら昼食のうどん屋さんへ向かいました(最近は讃岐うどんのお店にばかり行っている)。

午後になると、さらに1回の実習で話す時間を伸ばして練習が続きます。
ネタ切れから同じ話を何度もする人が増え、私もそうしたのですが、それが突破口にもなったようです。
何回も話をすることで、トータルでの話時間が実際のカウンセリングに近いものがあったことも理由の1つかもしれません。

そして、今日の数少ないポイントである、

カウンセラーは話し手を理解する。
話を妨げない。事柄、感情への応答、事実の確認、要約
カウンセラーの枠組みで指示をしない。
クライエントからの質問に対しては、一般的な情報提供はするが、答えは言わない。
気持ちに応えて、クライエントが自分自身で考えるように援助する
話し手を理解できるようになったらよりよく理解する。
そのための開かれた質問であり、感情の明確化を多少のリスクとともに試みる。

こうして、事柄や感情への応答を越えて、自分の中に入ってくる質問を通して、クライエントは自分の問題点を見据えることができ、方向性ができてくるのです。

「話を聞いてもらった、のではなく話をわかってもらった」

と体験できること、何か自分の中にストンと落ちるものを感じることが、よきクライエント体験と言えるのかもしれません。

私自身がクライエント役になって出した話題は、自分の中で決めてはいるもののモヤモヤが付きまとう話でしたが、実際話してみることで、モヤモヤの部分がより明確になり、話し終わった時には「やはり決めたことは変えないのだけど、ものの見方を変えればそこがモヤモヤでなくなるのだろう」とこれまで自分なりに決めていたことをよりはっきり認知することができたように思います。
(ちなみに話題とは、ママ友達との付き合い方と自分の開示についてです)

そして、私がカウンセラー役だった時にクライエントだった方は、話の終わりに彼女なりの方針を決めて話が終了しました。このように「クライエント役が自分の結論を導き出した時」それはクライエントの話を分かった=カウンセリングとしてよかったということなのだそうです。

とはいえ、この結果に天狗になることはなく、練習の回数を積むのみが上達への道ですね。

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さて、いつも養成講座の時は夫が休みなので娘を託して出かけるのですが、
学校も期末テスト期間となり、7月は木曜日も夫が出勤。今日は午前中勤務というので、一時保育に預けて出かけました。
先日のエキスパンダー通院の時5時間泣きつづけて昼食も食べずに終わった認可保育園はやめて、今回は初めから比較的慣れている無認可保育園を予約してありました。
案の定別れる時は大泣き。でも帰宅して保育日誌を見ると、しばらくすると慣れて、3~4歳のお兄ちゃんやお姉ちゃんに遊んでもらってご機嫌だったそうです。昼食も残さずに食べました。そういう日誌を見ると、私も安心して次もお願いしながら私自身が頑張ろうという気持ちがもてます。もちろんいずれ通年で保育園か幼稚園に通うときには、今のような小規模施設にお願いすることはないですが、それまでの期間は娘が楽しく過ごせることが一番なのだろうと考えています。

ちなみに、先に仕事を終えて迎えに行ってもらった夫によると
小西真奈美みたいにかわいい保育士さんがいたんだよ。次もお迎えが楽しみだ♪」
保育士さんがかわいいかどうかというのは、私が保育施設を選ぶ基準点には全く入っておりません。