As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

同窓会名簿

今日はついに30℃を越えたようです。でもこれからが暑さの本番ですね。
もう昨日になりましたが「大学時代の研究室の名簿」が添付で送られてきました。おそらく私が卒業以来初めてではないかと思います。
先日、4年ぶりくらいに同窓会があったのですが、私は欠席していました。その日は別件で用事があったのと(キャンセルは可能だったけど)同期はじめ当時親しくしていたメンバーの出席があまり期待できなかったことと、どうも私より上の代で私がNHKスペシャルに写ったことが憶測を呼んでいる(病気のことは知らないから)と聴いてしまい、会った時にもしも何か言われたら・・・と思うと今回は思わず二の足を踏んでしまった、というのが真相です。教授の先生とは時々連絡をしていますし、後輩とも年賀状だけになっていますが連絡はついているし、また数年後に同窓会はあるでしょうから、その時でいいかな、と思ってしまって。

でも名簿と近況報告には、なつかしくなって見入ってしまいました。
昨今の事情を反映してか、名簿には「取り扱いに注意」と書いてありました。
卒業してかなり経ちますから、もはや連絡先も分からなくなっていた人も多くいましたので、この名簿で改めて消息?が確認され、へ~えと思ってしまったのです。
卒業以来音信不通でしたが、我が家のすぐそばに住んでいることが判明した先輩!なんだか名簿のアドレスにメールしてしまいたい衝動に駆られましたが、・・・きっと数日後には現実に戻ってしまい、連絡することも忘れてしまうでしょう(←こういうときに連絡してみると「可能性の扉を開く」ことの1つになるのですが)
他には、もうかなり上の代で全く面識のない方で松山在住の人を2人も発見し、なんだかワクワクしてしまいました(笑)

近況報告を読むと、今でも第一線で研究を続けている人、活動の場を海外に移した人もいらっしゃいます。その一方で、専業主婦の卒業生も少なからずいますし、子供がある程度成長したのを機に非常勤的な仕事を再開したという方も。私が学生の時に博士課程にいた先輩は、ご自分にも他人にも厳しい人でしたが、それは精力的に研究に向かわれていた姿が印象に残っているのですが、はなばなしく博士論文を発表し、結婚し、専業主婦となって研究の世界から去っていきました。「なんで?もったいない」の声が当時はしきりでしたが、先輩には先輩の考えと意思があってのことだろうと思うし、女性にはいろんな生き方があると実感しています。

私が提出した近況報告には、このように記しています。
・現在は子育てに専念する主婦であること
・カウンセリングに興味を持ち、学び始めたこと
・結婚後に患った病の経験を元に、ボランティアをしていること(病名は書いていません)

私は会社に勤めていた時には、一応実験室にいましたので「学生時代の専攻を生かした仕事」をしていた部類に入るでしょう。仕事を辞めてしまった今では「結局専業主婦になっちゃうなら、理系の学部を出ても意味がないんじゃないの」というニュアンスの言葉を聞いたこともありました。私が必要以上に敏感になっているせいかもしれないですが。
でも、学生時代に学んだことが私の場合は、仕事とは別の意味で大きく役立っているのです。
それはもちろん「がん」という病気と向き合う上で。
東京の乳腺外科医、私の主治医のK先生は、どんな患者さんにも必ず「どうして乳がんになるか」という細胞レベルでの説明、ちょっとした講義をされているのです。「そんなことより、自分は助かるのかどうか知りたい」と思われる患者さんもいらっしゃいますが、先生は「どういうメカニズムでがんになるのか分かってもらったほうが、今後の治療についても理解しやすい」と考えていらっしゃるそうです。
私もその話を聞いたのですが、なんといいますが、実に分かりやすいイメージで頭の中に入ってきたのです。やはり下積みがあったからではないかと思ったものでした。
その後も、「抗がん剤の作用機序はどういうものか」「どうして副作用が起きるのか」「ホルモン療法剤にはどんな作用メカニズムのものがあるのか」そんな話題になった時に、自分なりのイメージができやすいのです。こういう形で自分の中に生かされてくるものなのですね。
 高校時代に生物の授業で聞いた「DNAの2重らせん」の話が原点となって、遺伝学研究室に在籍していたことが、後に自分が「がん」という病気に向き合った時に最大の強みの1つとなって支えてくれたような気がします。ダメ学生のまま終わり、研究者としては最初から素質なしでしたが、これまでに学んだことが全く活かせてないと思っていても、必ずどこかで活かされてくると思いますよ。

でもね、そういう風に素直に思えるようになったのも、術後5年を過ぎたからかもしれません。
仕事も何もかも病気のせいでめちゃくちゃにされた、と自暴自棄になった日も多かったからです。
改めて、当時学業を続けさせてくれた両親には感謝したいと思っています。