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「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

精神衛生保健の基礎知識

今日の養成講座の話に入る前に。

私はボクシングのことは全然分からないし、亀田兄弟のこともこの夏の騒ぎで初めて存在を知ったくらいなのですが、昨日の試合の判定には首をひねってしまった1人でありました。
亀田選手はただがんばって試合をしただけなんですが・・・

つい先日まで「涼しい」と言っていたのに、一転して真夏日の今日は理論学習です。
午前中は冷房直撃の席についてしまい、午後は先生の単調なしゃべり方とあいまって眠いことこの上なく、ふっと周りを見渡すと沈没している人の頭がそこかしこに見えました。

午前中の講義は「心理テストの利用」で、有名なTEG(東大式エゴグラムエゴグラムについては7月12日の記事に少し触れています)をやってみました。私はNPとACが高いという「お人よし傾向」にありました。しかしこのエゴグラム、一般には販売せず「しかるべき団体」にしか頒布していないようです。採用試験に取り入れる企業や、学校をはじめ多くの場で利用されることから、事前に問題が世間に流布してしまうと客観性のあるデータを取ることができなくなるからです。

午後の講義は「産業精神保健の基礎知識」で講師の先生も精神科医です。
産業カウンセラーが病気の診断をすることはできませんが、職場において精神疾患精神障害と遭遇した場合に重要な役割を担っています。疾病性に注目して専門家(多くは精神科医)へのリファーを行うといのも1つです。また、職場においては「これはどんな疾患か」という目で見てしまう「疾病性」よりも「業務上何の問題で困っているか、具体的な」視点で見る「事例性」を心がけることが求められます。
精神疾患は外側からは見えにくいために一般的な疾病とは違うことがある」ことを前提として、「(基本的には)相談者に関する情報を職場に知らせる決定権は相談者にある」という守秘義務や、職場にどこまで精神科的病名を知らせるべきかということは、インフォームドコンセントに基づいて決めるが、直属上司にはキーパーソンとして知っておいてもらった方が望ましい、同僚に関しては知らせた場合のメリットとデメリットを考慮して本人が判断する。精神疾患や障害による休職、復職判定には精神科主治医の診断は重要であるが人事、総務といった部署の方が詳しいこと、職場に常勤の精神科医がいない場合(常勤しているほうがまれだが)産業カウンセラーや産業看護師、保健師の役割は患者本人と職場、および医師との連絡調整役として重要になること、などが講義の中で出てきました。復職判定には産業医、カウンセラー、看護師などのコーディネートや職場関係者による「復職判定委員会」の設置が望ましいそうです。

これらの話を聞きながら、私はまた6年前の乳がん発病時のことを思い出してしまいました。
私がかかった病気は精神科的なものではありません(付随して精神症状も出てくることが多いですが)。
とはいえ、「守秘義務」を別の方向へ解釈した結果「どんな親しい同僚にも病気のことは話さないで」という「本人が判断する」原則に外れた命令(実際私は厳密に守りませんでしたが)や、産業医にも病名は話さないようにという方針(これも最終的には話しましたが)、「社員旅行は行かない方がよい」というアドバイス、社員健康診断がいつのまにか本人の意向を聞かずに「受けなくてよい」と決まってしまったこと・・・それらの雰囲気を察した身近な先輩から「病気のことはなかったかのように振舞え。有休で病院に行くことは言わないで(ただの用事もしくはリフレッシュ)で使ったようにしておいたほうがいい」というアドバイスにつながっていきました。

そう、あの時会社にはコーディネーター役に相当する人は誰もいませんでした。

(しいて言えば産業看護師はいましたが、病気の情報もそちらには入れませんでしたのでコーディネーターにはならなかった)
患者本人と上司、総務部・・・がんという病名の持つイメージの前にどこかボタンを掛け違えたまま進んでしまったように思います。
そして、もちろんそれだけではないですが、私が手術以来なんとなく持ちつづけた違和感が、やがて退職理由の1つ(あくまでも理由の1つにすぎませんが)になっていったような気がするのです。同様のことは上司も感じていたかもしれません。「病気のことが全面に出ないで辞めてくれた」と安心感を感じさせてしまい、退職と同時にはいそれまでよ、の関係だったのですから。

私が退職した後、「結婚や出産を理由に退職した女子社員」はまだいないそうです。この時代に「それだけ女性が働きやすい会社」といえるのだと思います。私だって病気になる前はそこに魅力を感じていたのですから。ただ、私が「単に子育てに専念したく」て会社を辞めたわけではないことは、なんとなく親しい人には分かってもらっているようです。うまく表現できませんが、私の場合は病気をきっかけに少しずつ何かがずれていきました。あの時、誰か社内に相談できる人がいればもっと違う選択をしていたかもしれませんね。まあ今の現状に満足しているのでこれでいいのですけど。