As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

7歳の記憶をたどる

今日も朝から雨、お昼近くなってから急に激しさを増しました。
さて、先日出かけた時のことを今日は書こうかと思います。

それは「私の7歳の記憶をたどるツアー」でした。
私は生まれてから小学校2年生の1学期まで千葉県船橋市に住んでいました。
その後県内の八千代市に転居し、ここに大学卒業まで住んでいましたが、就職で親元を出て県外へと転居、今住んでいる都内のマンションは結婚後からなのでかれこれ6年以上住んでいます。
実家は私の結婚後八千代の家を引き払って祖父母と同居を始めましたし、当時そこに住んでいた友人も引っ越したり連絡が途絶えてしまいました。もはや知り合いは誰も住んでいません。そんな私が船橋にある子供の頃住んでいた場所に行ってみたいと唐突に思ったのは、産業カウンセラーの同期受講生から船橋の話を聞いたことがきっかけだと思うのですが。

というわけで、京成電鉄の西船駅に降り立ち、そこから「私の記憶だけ」を頼りに当時住んでいたあたりを散策することにしました。
京成の西船駅は、当時は葛飾駅と言われていたのですが(地名が葛飾町なので)、「寅さん」で有名な葛飾柴又と間違えて降りる人が多かったせいもあり、私が引っ越してずいぶんたってから西船駅に名前が変わりました。
各駅停車しか止まらないローカルな駅ですが、エレベーターやオムツ交換台のついたトイレがあったので「進化したなあ」とびっくりしてしまいました。
駅の周辺には昔ながらの立ち飲みの居酒屋がいくつか残っています。当時は線路沿いにお寺があって、幼稚園もやっていて私はその幼稚園の遊具で遊びたくて仕方がなかったのですが、幼稚園はもうなくなっていて敷地と思われる場所はお寺の駐車場になっていました。

それから、記憶だけを頼りに当時住んでいた公務員の官舎を目指しました。
たしか当時はバスもあったけど、歩けなくはない距離だったのです。通り沿いのスーパーに買い物に行ったこともありますから。
どうだっけかなとおぼろげに記憶をたどりつつ歩いてみたのですが、どうやら7歳当時の記憶もしっかり脳裏に刻まれているようです。やがて官舎が見えてきました。
このあたりは住宅の周りに畑が多く広がっているのですが、当時からあまり変わってないようです。もっともこぎれいなマンションなどはなかったと思いますが。
また、バス通りは当時からそうだったのですが、今も狭い上にものすごく通行車両が多い。しかも信号のある横断歩道が少ない。そんな通り沿いにあるスーパーに、5歳ごろの私が「どうしても一人で買い物に行きたい」とダダをこねたのです。そのころ読んでいた絵本「はじめてのおつかい」の影響が大だったと思うのですが。母は絶対に危ないからダメだというので、私は一人でお金を持って家を飛び出した記憶があります。
今大人になってみても怖いくらいの通りです。いかに当時の行動が無謀だったかわかるものです・・・
(そういえば、昨今の事情を反映して当時からのロングセラー絵本「はじめてのおつかい」や「はじめてのおるすばん」は推奨されなくなってしまいましたね。私のようにあれを真に受けてホントにおつかいに行きたいと子供が言い出したら危ないというので)

官舎が見えると、あとは結構記憶が出てくるものです。私が通っていた小学校や幼稚園は今でもそのままありましたし、幼稚園のクラス編成や園児が着ている体操服も変わっていませんでした。私は今でも幼稚園の年長の担任の先生と年賀状をやりとりしてるんですよ!
そしてお昼のお弁当を買って、当時からよく遊んでいた行田公園の芝生で食べて、娘をひとしきり遊ばせてから帰ってきました。JRの西船橋駅の近くはだいぶきれいになっていましたが(駅の中もたくさんお店ができていた)、一本通りを中に入ったところには、昔と同じ店がそのまま残っていて、私が初めて行ったお好み焼きの店やとんかつ屋さんもまだありました。

今後またここに来るのはいつになるか分かりませんが(私としては自分のルーツをとりあえず見てきたのでもう満足である)、昔住んでいたところがどうなっているのか見に行くというのもなかなかおもしろいですよ。