As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

訃報

午後届いた1通のメール。
それは、大学時代の後輩があまりにも早く旅立ってしまったことを伝えるものでした。

1ヶ月ほど前、私が学生時代に所属していた研究室でポスドクをしているという方から知らせがありました。それは後輩のTさんががん(乳がんではありません)で厳しい状況にあるが、今現在では免疫療法に期待をかけて体力をつけようとしていること、といった内容でした。
Tさんがラボに入って来たのは、私が修士課程を卒業する時だったのでちょうど入れ替わりになります。
学生は4年生になる時に研究室を決めるのですが、学部で卒業する場合は1年間、その後大学院に進学する場合はそのまま研究室に残ります。私が所属していた頃は、大学院の修士課程まで終えてからラボを出て行く人が多く、私も3年間をこのラボで過ごしています。

私が手がけたテーマというのは、「ショウジョウバエミトコンドリアDNAの配列の解析」というものですが、数年前の先輩から引き継がれてきたものでした。私自身は努力が至らずにロクな結果も出せないまま終わってしまったのですが、入れ違いに入って来た学生のうち、このテーマを引き継ぐことになったのがTさんでした。とりあえず実験の引き継ぎなどを行い、私も4月からの就職に向けて引越し準備など忙しくなりました。ラボで毎日をともにしたというわけではなかったので、卒業後はTさんと直接連絡を取ることもないままに過ごしてきました。

卒業して数年たったある日、教授から連絡がありました。
Tさんは博士課程にまで進学し、このほど研究成果をまとめて論文にして学術雑誌に発表することになったのです。その結果には過去の先輩方のデータも含まれるので、過去に関わってきた人の名前も共著者として掲載したいからあなたの名前も入ることになる、論文を提出する前に一応内容面でのチェックもしてほしい、ということでした。
私が中途半端なままに終わってしまったそのテーマは、Tさんの研究成果によって更に内容に厚みを出したものに仕上がっていました。先輩から連綿と引き継がれたそのテーマは、Tさんによって1つの集大成を見たのです。
その後、完成して雑誌に載った論文の別刷りが送られてきました。共著者の末席に私の名前が載っていたということもさることながら、後輩の努力によってこのように実を結んだこともうれしかったし、あのころの自分の努力の至らなさに少しだけ苦い思いがしました。そして私は、教授へ「この本の著書の一部が私です」といまや絶版になってしまった「乳がんといわれたら」を送ったのです。

それから・・・私のほうもいろいろとあり、研究室というもの自体から遠ざかってしまったのですが。
論文の発表を見た時には全く想像もできなかった今日の知らせを聞くことになってしまったのです。

実は、今年の春に知ったことです。
私が4年生で研究室に入った時に、入れ違いに卒業していった先輩も2年前にご病気で亡くなっていました(その当時、教授は私たちの代までは知らせなかったそうです)。その先輩から私は研究テーマを引き継いだのです。
なぜ、このテーマに関わった人ばかりが-

私はこれまで何度となくがんで旅立った友人を見送ってきました。
そのたびに、病気のもたらす非情な事実に未だ何もできないことに、無力さを感じるだけです。

明日の御通夜にうかがうことにしました。
卒業後、直接の言葉を交わすことは少なかった後輩ですが、しっかり見送ってあげたいです。