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「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

葬儀を出すこと

1週間前の祖母の葬儀の話になりますが、今回私の父が喪主を務め、まさに葬儀を出す側になりました。
これまでは一般会葬者としてしか参列したことがなかったのですが、葬儀を出すというのは予想を越える大変なことでした。
葬儀の準備の最大の特徴は、わずか数日のうちに準備進行するということでしょう。結婚式のようにじっくり考えて準備してる場合じゃないですから。

12日夜9時10分に亡くなった祖母の遺体が自宅に戻ってきたのは11時を回っていたでしょう。祖母が使っていた部屋に安直して線香をあげた後、さっそくおじやおば、近所に住む親類に葬儀屋さんも入って葬儀の段取りが話し合われました。
お寺を始め夜分でも知らせた方がよい人には次々と電話しなければなりません。
妹も終電で実家へ帰ってきました。

翌日朝には火葬許可証が交付され、火葬場の予約ができました。14日は友引なので火葬場は休み、15日の午前で予約ができました。よって13日が自宅での仮通夜、14日が斎場での本通夜、15日は午前に火葬した後に午後告別式、野辺送り、お墓への埋葬まで行った後に斎場へ戻り精進落としの宴、とスケジュールができました。

スケジュールの他に参列者への返礼品や通夜振る舞いや精進落としの仕出し料理の注文、また近所の「講」の付き合いの一環として受付や手伝いを依頼したり昔ながらの風習に合わせたお返しや作法など、全てが初めてなのでてんてこまいでした。
(とは言え、私は走り回る娘を追い回していただけで、実際はほとんど両親と妹が動いたのです)

13日の午後3時より、「湯棺の儀」が始まりました。葬儀屋さんの職員が丁寧にシャンプーをして、身体を洗い、両親とおじやおばの手により死に装束を着せていきます。これから三途の川を渡り、長い旅になるので、装束の紐がほどけないように「方結びの縦結び」にするのだそうです。
死化粧を施され、旅立ちの支度ができた祖母は、高等女学校に通っていた頃道行く人が振り返ったという面影を残した美しい面差しをしていました。

その後棺に納められ、自宅用の簡単な祭壇が設置され、夕方6時よりお坊さんを迎えて仮通夜が行われました。このときは茶菓でもてなします。
私の実家のお寺は日蓮宗なのですが、この宗派は「南無妙法蓮華教」とお題目をエンドレスに繰り返して唱えるのが特徴で、このときは集まった人がみんな唱えていますので、結構圧倒されます。

翌日の昼間もヒマになどしていられません。合間を縫って自宅に訪れる弔問客や近所の手伝いの方への応対、葬儀屋さんとの打ち合わせが続きます。
食事の支度などできるはずがないので出前が役にたちました。実家の隣がお蕎麦屋さんで良かったです。自宅の階下にある自然派食品店とは大違い。

通夜当日の午後4時、葬儀屋さんが迎えに来て棺が運び出されました。葬祭場には花輪も生花も飾られ、すっかり準備ができています。夕方6時より通夜が始まりました。

この日参列してくれた方々へは通夜ぶるまいとして、お寿司や天ぷら、煮物などの料理がふるまわれたした。

そして迎えた告別式の日ー

朝8時半には葬祭場へ集合、8時50分よりお別れ式としてお経をあげてもらいます。そして棺に花をいっぱいに詰めて、故人の顔を見ることができるのは最後です。

1番悲しみがこみ上げる瞬間でしょう。

続いて「釘打ちの儀」参列者は1人ずつコツコツと2回棺に釘を打ちます。
すべて終わると棺は霊柩車へ乗せられ、喪主である父が同乗し、他の親族はマイクロバスで火葬場に向かいました。
火葬場に着き炉に入る前にもう一度お経をあげてもらい、合掌で見送ります。

その後待合室に移り、1時間ほど幕の内弁当を食べながら待ちました。

収骨室に移動し「骨上げ」です。故人の足から骨を拾います。2人一組になって1本ずつ拾うのです。

ついさっきまで美しい顔で眠っていたおばあちゃんは、小さな骨壺に入るくらいになってしまいました。

参列者みんなが骨を拾い上げた後、最後に父が「喉仏」の骨を拾い、火葬場の係員が頭蓋骨を拾って骨壺の一番上に置きました。

私もそんなに何度も火葬場に行ったことはないですが、ここでの場面には、肉体としての人の存在のはかなさを感じます。

遺骨を持ち再び葬祭場へと移動し、午後1時より一般会葬の人も集まって告別式となります。
読経に焼香、弔電披露や弔辞もあります。葬儀の一連の流れの中で一番大きいセレモニーです。

私の実家のある所では、このときに初七日、四十九日、百箇日の法要も兼ねてしまうので、式後すぐに墓地へ埋葬に行きます。これが「野辺送り」です。野辺送りの列は故人に近い親族が遺骨や遺影、位牌の他に提灯や杖、卒塔婆などを持ちます。

墓地で今日最後のお経をあげてもらいながら、埋葬した後参列者で線香をあげます。また、墓地では「講」の人たちが風習として残っている飾りを焼いたりします。

こうして全てが終了し、最後にもう一度葬祭場に戻ると、2階には「精進落とし」の料理が準備されています。松花堂弁当をいただきながらしばしの時を過ごします。
このとき階下のセレモニーホールは、既に今晩通夜となる別のおばあさんの祭壇に作り替えられていました。

3日間にわたる葬儀の日程は、葬式を出す家にとってはバタバタと息をつく暇もないものでした。このようなあわただしさが遺族にとってはかえって救いである(ただ悲しみにくれているだけではなく、やらなくてはいけないことがあることで気持ちを保っていけるから)と聞いたことがありますが、そうなのかもしれません。
長年の伴侶が旅立ってしまった祖父にとっても、現実離れしたような3日間だったと思いますが、これから日々さびしさが募るのではないでしょうか。私達残された家族には、祖母を心に思うこと、そして祖父に顔を見せてあげることが一番の供養になるのかもしれません。

本当に怒涛の3日間でした。そして自宅へ帰る車の中でふっと思いました。
「私はこの3日間で何本のエビの天ぷらを食べたのだろう?」と。
精進料理といっても、肉や魚満載のものでした。