As You Like It     ~気が向くままに~

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卒業アルバム

実家の仏壇のそばに、古い卒業アルバムがありました。
B5版くらいの大きさで横長、本は紐でとじられています。
それは、祖母が亡くなった後遺品を整理していた時にタンスの中から発見された「高等女学校」の卒業アルバムでした。祖母の生前、誰もそのアルバムを見た人はいなかったのですが、祖母はそのアルバムと私の父の学校の卒業証書と卒業アルバムを同じ場所にずっと保存していたのです。

昭和13年卒業生、とそのアルバムには書かれていました。
すっかり「セピア色」をしています。明治に創立された県立の女学校です。
アルバムをめくると、明治の創立当時からある正門や校舎の写真がありました。
生徒たちは、クラスごとに並んだり部活の集合写真もありました。
庭球部、排球部、籠球部・・・などなどある運動部。
割烹着をきた調理実習風景に、旗体操やなぎなたの練習、「古きよき」昭和初期を感じます。
それから、クラスごとの個人写真。
昭和になると、女学校の制服も袴ではなくなり、ブレザーとスカートの制服です。腰には大きなバックルがついています。今の女子高生と違って、化粧をしたりパーマや髪を染めている生徒はいないので、みんなあどけない素朴な表情で写っています。
その中に、パッと見の印象が「妹に似てる?」と思った少女がいました。
名前を見ると、旧姓の祖母でした。よくよく見ると妹というよりは伯母に似ているのですが、やはり「遺伝のなせる技なのだ」としみじみ感じてしまいました。そしてその表情は、遺影の中の穏やかな笑みを浮かべた祖母のものでもありました。

そして、先生方の写真。
それはまさしく「坊っちゃん」の世界でした。
昔の先生って、なんだかすごく威厳があるんですよね。
男性の先生たちを見ていると、坊っちゃん、赤シャツ、山嵐、うらなり、野だいこ・・・?!とイメージが湧いてくるようです。女性の先生も、和服姿がマドンナそのものだったり、知性と気品あふれる雰囲気が伝わってきます。
祖母の女学校時代の生活、想像もつかないのですが、きっとアルバムだけが知っていて私たちが決して知ることがない思い出をたくさん積んでいるのでしょうね。