As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

オールオアナッシングではないと思うなあ(独り言)

幼稚園の未就園児クラスも、残すところあと1回になりました。

あっという間に次の春を迎えようとしています。

さて、今日もお母さんたちは「手仕事」をしながらなんとなく雑談をしていましたが、誰かが「胃カメラ」を飲んだことがあるといったことを皮切りに、身内の病気の話が次々と出てきました。
・・・この年齢(幼稚園に集まるお母さんたちは私を含め30代半ばの人が多いです。地域の他の幼稚園よりも、ここはお母さんの年齢層が高めな感じです)となると、身内が「がん」を経験している人が結構多いのです。最近ご近所の方が、友人のお母さんが、などと多くのお母さんが身近な人ががんにかかった経験をされていました。
「私、すごい衝撃だよ。私は今まで身近でがんにかかった人が誰もいないの。だんなのがん保険ももったいないからやめなよ、ってこれまで言ってたけど、やっぱり大切だよね」
と言ったお母さんも。
(あなたの目の前に「がん体験者」が立ってるんですけど、と思いつつ知らん顔の私)
でも、保険って「まさか」のためにあるもの。私は乳がん手術の1ヶ月前に加入手続きを済ませていた生保の医療保険(そのころ私はしこりのことなど全く意識せず、会社の健康診断では健康そのものだったので何も問題なく入れた)にどれほど助けられたことでしょう!賢く保険は選んで手堅く入ってくださいね。

すると「がんになったらよく効く「キノコ」を知ってるの」という話題が出てきました。

そのキノコの名前、私はすぐに失念してしまいましたが、がんに限らず、体調が悪い時に煎じて飲むと元気が戻ってくるのです。そのキノコを煎じたら、末期がんと言われた方が何人もQOLを落とさずにがんが完治したというのです。術後の後遺症や抗がん剤の副作用に苦しむ姿を知ってしまうと、あえて西洋医学の治療を受けて苦しむより、キノコのほうがずっといいのではないか?と。
「確かに、どんどん手術をして、抗がん剤して、副作用で苦しくて気持ちも心底病気になっちゃって、チューブにつながれて「生かされている」というだけでも医師は「治療の効果があった」っていうのよね。医師にしてみれば「生きてさえいればいい」のだろうけど、あんなに苦しく生きていることが本人にとってどれほどいいのかと思ってしまう。だったらキノコの力を借りて、苦しくない、その人らしく生きられた方がいいよね」と深くうなづく人もいます。

確かに、治療によりQOLが下がってしまい、苦しいだけではつらいでしょう。
世間一般での「がんの治療」のイメージはこういうものが多いと思います。
従来のがん治療では、治療法の選択や医師の方針などにもより、確かにそんな治療がもたらすマイナス面もありました。
でも、QOLを低下させずに治療効果をあげるにはどうすれば?根治の可能性が高ければ根治を目指す、残念ながらそれが厳しい場合には生活の質を落とさずに病気との共存を測る治療を目指す、というようにがん医療は変わろうとしているのです(もちろんまだ医療格差の問題など、未解決部分は多いけどね)。

私はこういうことを考える機会は多いですが、

西洋医学=苦しいだけの治療→だから「代替医療のみ」という公式は成り立たないと思います。

代替医療を否定、なんてことは決してありません。今は「ホリスティック医療」も浸透しています。
代替医療と西洋医学の共存が測られていく時代になるでしょう。
でも、西洋医学の強みの1つは「エビデンスに基づいた治療」でもあります。標準化された治療には、エビデンスに基づくものも多いのです。それを全く素通りして、キノコだけというのは私なら選択しないと思います。医療には、オールオアナッシングはないと思うからです。

「今度、Gセンターで検査をする人がいるの。本人は一応普通の医師のいうことから聞いてみるって言ってるけど、そんなに苦しいだけなのなら、キノコのことを教えてあげたい」

私は、それらの会話を聴きながらも、何一つ自分の考えは言いませんでした。
もちろんそれは、治療の選択をするのは最終的には本人の考えと価値観だから、私が考えていることだって押し付けることはできないということもあります。
でも、私がこういうところで話し出したらちょっとの相槌ではすまなくなる。それは、これまで幼稚園では決して見せてこなかった私を見せることになってしまう。

幼稚園は誰のために行くのか。そこはあくまでも娘のためのコミュニティです。


娘の自己責任がないところで、これからの幼稚園生活に敢えて波紋を投げかけるような事実を言う必要はないでしょう。だから私はこれからも決して幼稚園のお母さんに「がん体験」のことを自ら話すことはないと思います。私が「ふるぼう」であると気がつかれない限りはね。