As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

分かったような気がする

5月から「フォーカシング」の講義を受け始めているのですが、ベーシックコースも前半4回が終わりました。
そして、受講生は1人ずつフォーカシングを体験していきました。
(フォーカシングでは、フォーカシングを受ける人=クライエントをフォーカサー、カウンセラーにあたる人をリスナーと言います)

いよいよ私がフォーカサーとなる番が来ました。

リスナー役の先生は、目をつぶって座るように言い、今日心に引っかかっていることについて「どう感じるか」を聞いてきました。
「不安かなぁ?焦りかなぁ?」と私が答えると「では、その不安はどんな感じなの?感じるままに言葉にしてみて」と先生(リスナー)。このとき「○○だから○○だと感じるんです」などと「理由」をつけてはいけません。ただ、感じるがままに、自分の感じをフィットする言葉にあらわして、そう感じている自分を認めていくのです。リスナーはただフォーカサーのことを全て受け入れていきます。

「感じ」を言葉にしながら、でも「具体的に」どんな出来事があったのかということは一切話しませんでした。フォーカシングでは、悩み事の具体的な内容は、話したければ話してもいいけど、話さなくてもいいのです。それは、何があったのかではなく「何を感じているのか」が大切だからです。

正直、始まる前の私は半信半疑でした。
産業カウンセラーの養成講座では、クライエント役になると話したい範囲で具体的な出来事を話しました。「ねぇ聞いて!」とたまっているものを吐き出すように語ることでスッキリ感があります。
それをせずに抽象的な「感じ」だけを語ることによって何がどう解決するのだろうと思っていたのです。
しかし…始めてみると。

「どう感じるのか?」だけに集中して、感じたままに言葉にしていくというのはなかなか集中力が要りました。ついつい「○○だったから、こう思った」ということを言ってしまい、「理由はつけないで」といわれます。理由をつけずに、感じたことを言い、そのことに対してまたどう感じたのかを言い、話が展開していくのです。いつのまにか、地球の外から自分を見ているような気分になりました。
同じ言葉でいいから、何度も言葉に出して「感じたこと」が何かを言っているいつに、心の中から、何か湧き上がるような感覚があって、頭の中にふうっと楽な場所が見えたような気がしました。
その楽な場所は、自分がいごごちよくなる場所なのです。
これまでの自分は「過去とまわりは変えられない」とか「受容・共感・自己一致」などと「言葉だけ」知ってても、結局「感じる」ことが不十分だったので、相手の話を聞いていても、相手を受け入れるのではなく、自分の価値観を押し付けているだけだったように思います。
そうじゃなくて、自分が「いごこちがよい、ラクになる」地点に行くこと、それが相手にとっても「ラク」に自分に対処してくれることになると思うのです。

心の中にたまったモノを、思いっきりぶちまけて、負の感情を消化してしまうのももちろんいいけど、こうやって「何を、どう、感じているのか?」自分の内側に集中して、深く深く耳をすます作業-
再び目を開けたとき、何か「憑き物が落ちた」ような気がしました。
そして、私も受講生仲間がフォーカサーになった時と同じように気がついたら涙を流していました。
どうしてだろう?始まる前は泣くだろうとは思わなかったのに。

テキストの文章を追うのではなく、何か一皮向けたような時間を過ごしました。
来週以降の講座にいっそうの楽しみが加わったと思います。