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篤姫の駕籠

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午前中、幼稚園のコーラス部の練習に行った後、水曜休みの夫に娘のお迎えを頼んで(夫は久しぶりに娘の担任Y先生に会えるのをそれは楽しみにしていた…)私はそのまま駅に直行し、都内へ。
今月のスケジュールを考えると今日しか行けないかもしれない所があったのです。

両国駅で降りると駅前はやたら賑わっていました。そのはずです。今は初場所中でしたね。

そして、私の目的は国技館ではなくその隣にある「江戸東京博物館」でした。

篤姫の駕籠」の現物を一目見ておきたかったのです。

夫に「駕籠見たい?」と聞いたら「それほどでも」と言うので「じゃ、お迎えお願い」と言い残して出てきてしまったというわけ。

江戸東京博物館は、常設展と企画特別展に分けられますが、両方を見るにはかなりの時間が必要なので、今回は特別展「珠玉の輿(たまのこし)~江戸と乗物~」のみ見学。平日だというのに結構混み合っていたので(年配の方がほとんどでした…)週末は覚悟して行った方がいいかもです。

「駕籠」とか「輿」とか呼ばれる江戸時代のハイソサエティな方々が使用した「乗物」を展示した特別展です。

中に入るといきなり篤姫の駕籠がー
いえいえ、これは大河ドラマで使われた宮崎あおいちゃん使用の篤姫の駕籠でした。ドラマの道具とは言え、時代考証に基づいた絢爛豪華なものでしたが。

当時乗物を利用できるのは、社会的に相当な身分にある人に限られていました。武家社会でどういう人が駕籠を利用できるのか細かい規則もあったのです(早駕籠といった一般人向けの乗り物もありました)。

参勤交代など大名は駕籠を利用して旅をします。男性向けの駕籠は質素で実用的なつくりの物が多いです。それでも軽く50kg以上する駕籠に大人を乗せて運ぶのですから、担ぎ手にとってはさぞかし重労働だったことでしょうね。

変わったところでは「遠山景元」という武士が「痔を患っているので駕籠で出勤したい」と願い出ている文書が残っていました。

さて、男性の駕籠の次はいよいよ「女乗物」です。当時身分の高い女性が使用した駕籠は婚礼のために作られたものが多いですが、蒔絵や金工、そして内装の絵画などとても美しく作られていて、さながら「動く御殿」です。

さまざまな女性用の駕籠が展示されていましたが、ガラスケースの中に鎮座していたのが、

最大の目玉「篤姫の婚礼時の女乗物」(黒塗二葉葵唐草葵牡丹紋散蒔絵女乗物)でした。

昨年7月、アメリカのスミソニアン協会のギャラリーで篤姫の物と確認されたのです。それが「一時帰国」して展示されているのです。篤姫の駕籠は、江戸城無血開城の時に置きっぱなしになっていたのがどさくさに紛れて渡米してしまい、オークションを経てスミソニアン協会に行き着いたそうです。
その「篤姫の駕籠」と、もともと江戸東京博物館が所蔵していた

「本寿院の駕籠」(黒塗梅唐草丸に三階菱紋散蒔絵女乗物)が並んで展示されていました。


どちらも150年以上の歴史を感じさせない豪華なつくりで保存状態が良く、今も現役で活躍できそうでしたが、徳川家定正室であった篤姫の駕籠の方がより精巧で豪華な駕籠でした。

展示されていた駕籠で他に目をひいたのには、5代将軍綱吉の正室鷹司信子(フジテレビの大奥で藤原紀香が演じてた)が使用したものもありましたが、篤姫の駕籠の豪華さは群を抜いていました。

特別展では他に和宮が使用した輿や婚礼調度品なども展示されていました。皇族から徳川家に嫁いだ和宮の立場が別格であったことがしのばれます。

それにしても、以前から駕籠を見て思っていたのですが、
あんな狭い空間に長時間いて、しかも人が担ぐのだから揺れるだろうし、乗り物酔いしなかったのかな?
篤姫など薩摩から江戸まで駕籠に乗っていたのだから、それだけで体調を崩しそうなハードな旅のような気がするのですが…

それと、当時の人は華奢だったんだろうな。今のメタボな人はとても駕籠には入らない…

食生活の変化って恐るべきと改めて感じたのでした。

写真は篤姫の駕籠。ポストカードの写真をケータイで写したものだけどね。