みんなちがって みんないい
震災直後から流れまくった「ACのCM」で、思いがけず耳にこびりついてしまった金子みすゞの詩。
彼女の少女時代の写真や、遺稿が記された3冊の手帳や、投稿作品が掲載された雑誌、みすゞが生まれ育った仙崎や暮らした下関での貴重な資料を展示し、その生涯をたどる展覧会「没後80年 金子みすゞ展」が横浜そごうで開かれており、たまたまこちらのチケットを持っていたので見に行ってみました。
「金子みすゞ」(1903-1930)の詩といえば、私もこれまでは
「みんなちがって みんないい」
のフレーズしか分かりませんでした。
(その後、この大震災後のCMで「こだまでしょうか?」を聞くことになる)
ほとんど忘れ去られていた彼女の詩が、児童文学者の矢崎節夫らの努力で 発掘され、1984年に遺稿集が出版され、再び日の目を見ることになったので
すが、今では小学校の教科書にも載っている詩も、私が小学生だった時には
まだ掲載されていなかったのです。
みんなをすきに
わたしはすきになりたいな、何でもかんでもみいんな。
ねぎも、トマトも、おさかなも、のこらずすきになりたいな。
うちのおかずは、みいんな、かあさまがおつくりなったもの。
わたしはすきになりたいな、だれでもかれでもみいんな。
お医者さんでも、からすでも、のこらずすきになりたいな。
世界のものはみィんな、神さまがおつくりなったもの。
ねぎも、トマトも、おさかなも、のこらずすきになりたいな。
うちのおかずは、みいんな、かあさまがおつくりなったもの。
わたしはすきになりたいな、だれでもかれでもみいんな。
お医者さんでも、からすでも、のこらずすきになりたいな。
世界のものはみィんな、神さまがおつくりなったもの。
おさかな
海の魚はかわいそう。
お米は人につくられる、
牛は牧場でかわれてる、
こいもお池でふをもらう。
けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうしてわたしに食べられる。
ほんとに魚はかわいそう。
お米は人につくられる、
牛は牧場でかわれてる、
こいもお池でふをもらう。
けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうしてわたしに食べられる。
ほんとに魚はかわいそう。
わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように たくさんなうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。
とべる小鳥はわたしのように、地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように たくさんなうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。
金子みすゞが童謡詩人として活躍したのは、20歳のころからわずか26歳の短い生涯を閉じるまでの短期間でしたが、その間に実に512編もの作品を残しています。
その詩は、女性らしい、優しい、美しい日本語で書かれているのですが、「命」をとてもいとおしく感じているさまが詩から感じられるのかなあと思いました。
神さま、仏さまといった言葉も詩の中に登場するのですが、それは宗教という枠を超えた彼女の世界観、命を作り出す存在のように感じました。
彼女が一人娘の言葉を書きとめた「南京玉」にも、そのいとおしさが伝わってきます。
だからこそ、何故彼女は26歳の若さで、自ら命を絶ってしまったのか・・・きっと未だに分からないのだと思いますし、命というものはそれだけはかなさにも満ちているのではないでしょうか?
さて、会場で売られていた「遺稿集より 金子みすゞの直筆の詩」のポストカードですが、
今いちばん熱い注目を集めている「こだまでせうか」を載せてみました。
この詩、原発事故の影響で「パロディ」ともいえる詩がたくさん出てしまいましたよね・・・
官邸詰めの記者たちの間での戯れ詩という説もあります。
「大丈夫?」っていうと 「大丈夫」っていう
「漏れてない?」っていうと 「漏れてない」っていう
「安全?」っていうと 「安全」って答える
そうして、あとで怖くなって
「でも本当はちょっと漏れてる?」っていうと 「ちょっと漏れてる」っていう
こだまでしょうか?
いいえ、枝野です
「漏れてない?」っていうと 「漏れてない」っていう
「安全?」っていうと 「安全」って答える
そうして、あとで怖くなって
「でも本当はちょっと漏れてる?」っていうと 「ちょっと漏れてる」っていう
こだまでしょうか?
いいえ、枝野です
他にもいろんなバージョンがあるとか・・・
結局このパロディ詩は全部裏切られたような形になってしまいましたが、
みすゞが今の日本を知っていたら、どんな詩にあらわすのでしょうか?