石山寺参詣
この年末に愛媛に帰省していたのですが、
今回はJALではなく、横浜から800km車できました(夫が頑張ったのです)
ペーパーゴールド免許皆伝の私が運転できないから夜通し高速道路を走るわけにはいかず、途中一泊して往復することになりました(だから、往復だけで4日かかるというハードなスケジュールなんです)。横浜を出た日は東名、名神と乗り継いで関西で一泊しました。宿が取れたのが琵琶湖のほとり、大津でした。京都に程近いですが、実はこれまでに行ったことがありません。そこで、翌日愛媛に向かう前にアサイチで参拝してきました。
大津には比叡山延暦寺をはじめ、三井寺や近江神宮(「ちはやふる」で有名になった競技かるたの聖地です)など見どころはいくつもありますが、ワタクシが今回ひとつ選んだのは「石山寺」でした。
紫式部が源氏物語を執筆したと言われているところです。
東大門には立派な門松です。中に入ってしばらく歩くと、錦鯉が泳いでいる池がありました。
石山寺は名前の通り、寺全体が大きな石山でできています。大理石(硅灰石)でできた「くぐり岩」もあります。
石段を上がると本堂です。内殿は滋賀県最古の建築物、平安時代の建物です。安土桃山時代には豊臣秀吉の側室淀君が修繕に携わっていたそうです。
本堂の傍らにあるのが「紫式部 源氏の間」です。中には紫式部の人形とロボットまでありました。
紫式部は石山寺で源氏物語の構想を練ったと言われています。紫式部以外にもこの時代の女流文学の立役者となった清少納言や和泉式部、更級日記の作者菅原孝標女などが石山寺に参詣したことが知られています。
このお寺もあと数日すれば初詣の参拝客で賑わうのでしょうが、年末に訪れたのでゆっくり回ることができました。
本堂の裏手には山が広がり、梅園などもあります。
こちらの多宝塔は源頼朝が寄進して建立したそうです。本堂や多宝塔は国宝に指定されています。
梅園が広がる参道を歩いていると、紫式部像がありました。この像はわりあい最近作られたようです。
今回はJALではなく、横浜から800km車できました(夫が頑張ったのです)
ペーパーゴールド免許皆伝の私が運転できないから夜通し高速道路を走るわけにはいかず、途中一泊して往復することになりました(だから、往復だけで4日かかるというハードなスケジュールなんです)。横浜を出た日は東名、名神と乗り継いで関西で一泊しました。宿が取れたのが琵琶湖のほとり、大津でした。京都に程近いですが、実はこれまでに行ったことがありません。そこで、翌日愛媛に向かう前にアサイチで参拝してきました。
大津には比叡山延暦寺をはじめ、三井寺や近江神宮(「ちはやふる」で有名になった競技かるたの聖地です)など見どころはいくつもありますが、ワタクシが今回ひとつ選んだのは「石山寺」でした。
紫式部が源氏物語を執筆したと言われているところです。
東大門には立派な門松です。中に入ってしばらく歩くと、錦鯉が泳いでいる池がありました。
石山寺は名前の通り、寺全体が大きな石山でできています。大理石(硅灰石)でできた「くぐり岩」もあります。
石段を上がると本堂です。内殿は滋賀県最古の建築物、平安時代の建物です。安土桃山時代には豊臣秀吉の側室淀君が修繕に携わっていたそうです。
本堂の傍らにあるのが「紫式部 源氏の間」です。中には紫式部の人形とロボットまでありました。
紫式部は石山寺で源氏物語の構想を練ったと言われています。紫式部以外にもこの時代の女流文学の立役者となった清少納言や和泉式部、更級日記の作者菅原孝標女などが石山寺に参詣したことが知られています。
このお寺もあと数日すれば初詣の参拝客で賑わうのでしょうが、年末に訪れたのでゆっくり回ることができました。
本堂の裏手には山が広がり、梅園などもあります。
こちらの多宝塔は源頼朝が寄進して建立したそうです。本堂や多宝塔は国宝に指定されています。
梅園が広がる参道を歩いていると、紫式部像がありました。この像はわりあい最近作られたようです。
梅園の他に「夢の桜」と言われている520本の桜の木も植えられています。
実は、この桜の木にはこれまで明かされてこなかったエピソードがあります。
現在の石山寺の住職夫人は、1985年秋に徳島のお寺から嫁いできたそうです。
結婚式直前の夏、東京に住んでいた住職夫人の妹さんが、夏休みに徳島に帰省するためにあのJAL123便に乗り、帰らぬ人となってしまいました。
そして、石山寺に嫁いだお姉さんはご実家のお母さまと一緒に桜の苗木をあの事故で犠牲になった人数の520本植えられたのです。
このことは、つい最近まで公にはなっていなかったそうですが、苗木を全て植え終わってからの年数が、亡くなられた妹さんと同い年になったということで公表されました。毎年春には、520本の桜が咲き誇ります。その風景は、まさに夢の桜でしょう。