石巻、女川訪問
昨日からまた「STAP細胞」が世間を騒がせていますが・・・
(私も記者会見のときは在宅していたので一部始終見てしまいましたが)
どうもこの件に関しては、このような分野をかじったことがある人と世間一般の間で、受ける印象が違ってきつつあるようにも思います。
科学的なことと法的なことがいつしかごちゃ混ぜになってしまったというか・・・何はともあれ、外野はもう騒がずに科学的事実が出てくるのを待つしかないのだと思えます。
東北と日光江戸村に行った春休みの旅行の話ですが、
今回自分の中でも一番重要と位置づけられる訪問先についてはまだ書いていませんでした。松島で風光明媚な風景を楽しむ前に、きちんと現実を見なくてはいけないと思って宮城に行ったのです。
この旅では仙台に着いた翌日に石巻、女川と被災地を案内していただいたのです。
仙台での宿泊先はJRの仙台駅に程近いホテルでした。
駅周辺の繁華街を歩いている限りは、もうすっかり元に戻ったようにも感じられました。
1時間かからずに着いたと思います。
石巻に入っても、海のすぐ近くに行かなければ震災、津波の痕を感じることはなかったのですが、高台から海辺を見ると分かると思います、ということで最初に案内していただいたのが「日和山公園」でした。ここから海を見渡すことができます。
公園の展望台には、震災前に撮
った風景写真が貼ってありまし た。
海のすぐそばまで家が立ち並ん
でいたのです。
そして、震災後に同じ場所を撮った写真なのです。
今日の海はこんなにも青くて穏やかなのに・・・
この時、初めて3.11のあの震災が自分の中にすとんと落ちてきたというか・・・
本当に起こった出来事なのだと初めてまざまざと認識したというか・・・
テレビや写真で見るだけでは体感することができなかった思いにとらわれました。
あれから、3年経ったというのに・・・3年も経ったのか、3年しか経っていないのか。
日和山公園から下りてくると、そこには道だけが残っています。
牡鹿半島へ車を走らせるとじきに女川につきます。
まだまだ津波の爪痕がはっきり残っている沿岸部です。
写真の建物は、津波で完全に横倒しになってしまい、震災遺構として保存する話も出ていたそうですが、やはり保存は難しいらしく解体されるのではないかとのことでした。
この写真は高台にある病院の駐車場から撮ったものなのですが、当時は高台にまで津波が押し寄せ、1階部分が完全に浸水したそうです。沿岸部はなすすべもなかったことでしょう。
女川を出た後、石巻の大川小学校に案内していただいたのですが、もう言葉がありませんでした。
自分でその場に行って感じ取ってみてください、といわれた言葉が身にしみました。
大川小学校の立地は、海のすぐそばではありません。
北上川沿いに建っている学校ですが、河口からは数キロ離れており、堤防もあります。学校のすぐ裏手に山があるのですが、なにぶん急斜面なので、地震が起こった時にその山へ避難するというのは、避難することにリスクがあるだろうと考えてしまったことも無理なかったのではないかと思えました。
しかし津波は河口からさかのぼって、頑丈な堤防を乗り越えて学校を飲み込んでしまったのです・・・
自分にはこれから何ができるのだろうかと考えてしまいましたが、できると思ったことをするしかないのだとも思えました。
そんな被災地の訪問で、元気になったのがランチタイムでしょうか。
女川の海沿いに元気に営業しているのが
鮮魚店と海鮮丼、寿司屋をかねている
「おかせい」さんです。
もともとは女川港からあがる新鮮な魚
介類の鮮魚店だったそうですが、震災
後に店内で飲食できるようにしたそう
です。
店内には訪れた有名人のサインがところ狭しと貼ってありました。
ももクロの写真もありましたよ~
これが私が頼んだ上にぎり。
やっぱり美味しいのはマグロでした。
そして特製女川丼
エビにアワビにトロにカツオと豪快にどどーんって感じでした。
美味しいものを食べに行くことで少しは復興支援になったら嬉しいですね。