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花子とアンへの道 銀座教文館

七夕だというのに天の川が見えない年の方が多いですけど、その前日は夏の陽射しだったのでした。この日は乳腺外科クリニックの患者サロンがあったので、私は日中銀座にいました。
通院先が銀座だという理由だけで「銀座は私の庭なの」とふざけたことを日頃からほざいているワケですが(笑)、ますます視聴率が好調な「花子とアン」の村岡花子さんも、ご自身の庭のように銀座を闊歩していた方でした(結婚されてからのご自宅はずーっと大森にあったそうですが)。麻布鳥居坂の女学校、甲府の小学校を経てドラマの舞台は銀座の出版社に移っていますが、実際に花子が勤務していた銀座の書店、出版社の「教文館」では14日まで花子にまつわる展覧会花子とアンへの道 ~村岡花子 出会いとはじまりの教文館~」を開催しているので、サロンの後で立ち寄ってみました。

私はクリニックに行く時は新橋駅を利用していますので、クリニックから教文館の方向は駅に向かうのとは逆になってしまいます。だから本屋に用がある時はサイン会でも有名な「福家書店」に寄ることが多かったのですが、閉店してしまったので、その後は通りに面した教文館に寄ることもしばしばありました。そして教文館では1階に雑誌や売れ筋の本を置いてあったので、上の階に上がることなく用事を済ませてしまっていました。 

でも、その教文館は歴史が古く、明治18年にキリスト教の出版社、書店として創業し、明治24年以来ずっと銀座にお店を構えています。
現在では一般の書籍のフロアや子どもの本のフロア「ナルニア国」などがありますが、出版部では一貫してキリスト教関連の本を扱っています。そして社屋と店舗のビルは昭和8年に完成したもので、空襲にも焼けずに残ったのです。

展覧会の会場はビルの9階にあるウェンライト・ホールでした。そして、これまで外から見ているだけでは分からなかった歴史を感じる部分がビルのあちこちに残されていました。
展示の内容は、5月末に三越で見た「モンゴメリと花子の『赤毛のアン』展」とかぶる部分も多かったですが、それでもここで初めて公開されたものもありました。

まずは、朝ドラが始まる少し前にNHK出版より刊行された「アンを抱きしめて―村岡花子物語」より、わたせせいぞうさんの原画が展示されていました。それから、花子の生涯をたどり始めます。もう何度か見た幼少の頃の家族写真から始まり、東洋英和女学校時代の写真、当時の校内の写真や(ドラマで、白鳥かをる子先輩や生徒たちが紅茶とクッキーをいただきながら「縁談」の話をしていたサロンや、調理実習室や理科室などの教室など貴重な資料)、花子が学友たちと撮った写真などがありました。そしてここで初めてお目見えしたのが「リアル茂木先生(寮母の加茂令子先生)」や「リアルともさかりえ先生(小林富子先生)」の写真です。また、卒業式の式次第や「本科の卒業式写真」(この卒業式の後、リアル蓮子さまこと柳原白蓮は九州の炭鉱王の元へ嫁いたので、そのことに反発して仲たがいしていた花子とはお互い端っこに並んでいて、そのまま10年間疎遠になってしまった)なども展示されました。

そして、このコーナーで何と言っても目玉だったのは「白蓮直筆の和歌の色紙」でしょうか。花子と白蓮は女学校時代に、和歌の佐佐木信綱に師事しています。

女学校を卒業した花子は、ドラマみたいな小学校教師ではなく、東洋英和の姉妹校である山梨英和女学校の英語教師となりますが、この間に「少女向けの読み物が足りない」と痛感して、物語の翻訳をすすめていきます。こうしてできた翻訳した物語と自身の創作とを合わせて処女作「爐邉(ろへん)」を出版します。その出版社こそが教文館で、現存しているのは教文館で所蔵しているたった1冊だけです。
この貴重な1冊が展示され、一部の本文をパネル展示していました。

「爐邉」を出版した後の花子は、再び上京して教文館(ドラマでは「聡文堂」)で働き始めました。そのすぐ近くにあったのが、横浜に本社があって銀座にも印刷所があった「福音印刷」だったのです。ここの御曹司こそがドラマでは英治さんとなっている村岡?三さんです。
ここでもまた、「花ちゃんはキスが好きですか・・・」といった中2病炸裂のラブレターをはじめ、2人が熱く取り交わした不倫略奪ラブレターが出てきます(実際には、ドラマみたいに村岡さんの前妻が亡くなってから交際を始めたわけではないので)。そしてそんな手紙を書いていたとは思えないような2人のりりしい結婚記念写真も出てきます。そして長男の道雄が生まれましたが、6歳を前に亡くなってしまうのです。

私生活が激動を続ける中でも、花子は教文館での編集、翻訳の仕事を続けています。戦前のNHKで「ラジオのおばさん」をしていた話は有名ですが、同時期には子供向けのキリスト教雑誌「小光子」の編集を手がけ、やがて戦後にはキリスト教家庭誌「ニューエイジ」の編集もしていました。

運命の「赤毛のアン」との出会いの場所も教文館です。大阪のプール女学校(現プール学院中学・高校)で長いこと教鞭をとっていた宣教師、ミス・ショーが花子の同僚として教文館にやってきます。やがて戦争の色が濃くなり、日本にいる外国人は帰国を余儀なくされますが、その時にミス・ショーが「アン オブ グリーン ゲイブルズ」を花子に託していくのです。花子はこの原書と翻訳した原稿用紙を空襲の際にも必ず持って逃げて、戦火から守りきり、昭和27年に「赤毛のアン」として出版され、以降次々と「アン・シリーズ」が訳されていきます。

戦後の花子はモンゴメリの作品を始め多くの少女向けの小説を翻訳し、また「道雄文庫」を創設したり、ヘレン・ケラー来日時の通訳をしたり、母校の東洋英和女学院短大で教えたりと多忙な日々を送りました。戦前から戦後を通じて、多くの女流文学者や児童文学者との交流もありました。そして英語とともにあった生涯だったのに、海外へ渡航したのは亡くなる前年に養女のみどりさんを訪ねてアメリカにいっただけで、ついに赤毛のアンの舞台、カナダを訪問することはかなわなかったのです。
亡くなる数ヶ月前に家族にあてたメッセージを書いた原稿も見つかりました。

こうして展示を見ていると、これからますます佳境に入りつつあるドラマの舞台「銀座の出版社」が「赤毛のアン」が生まれるための決定的なターニング・ポイントとなった出来事の舞台にもなっていることが分かってきたのです。これまで何気なく通り過ぎていたビルだったのに・・・

展示会の会場となった9階ホールから歴史を感じさせる手すりのついた階段を下りていったのですが、今ではキリスト教関連書籍専門売り場となっている3階の一角の床に白いテープが貼ってありました。まさにそこが花子が仕事をしていたデスクのあった場所だったのです。


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そして、教文館を出て新橋駅に戻る途中でいつも前を通るのが「銀座カフェーパウリスタ

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私もここでお昼を一度食べたことがあります。が、コーヒーを飲んだことがない!
銀ブラというのは、銀座をブラブラするのではなく、ここで「ブラジルコーヒーを飲むこと」という説もあるそうです(ナレーションの三輪さんもそういってました)。そしてこの歴史あるお店で、花子は村岡?三さんと編集の打ち合わせをしつつ、愛を深めていったのです・・・
ということは、リアルドミンゴってことですね!

だから、次のクリニックの診察のときには、カフェーパウリスタでコーヒーとカレーをいただきたいと思います。
そしてワタクシも、もっと銀座が似合うように精進したい?!と思います。