ミッフィー展
クリニックでの診察が無事に終わって、次に向かったのは銀座松屋でした。
「ミッフィー展」を見に行ったのです。
日本でも高い人気を誇るディック・ブルーナさんのミッフィーですが、第1作「ちいさなうさこちゃん」の初版本が出版されてからちょうど60年になる今年、展覧会が開かれることになりました。
オランダのユトレヒトに生まれたブルーナ(1927~)は、父の経営していた出版社でグラフィックデザイナーとして活動を始めます。会場にはデザイナー時代の作品や、妻イレーネのために描いた「朝食メモ」などが展示されていました。
その後絵本作家として歩み始めますが、この頃の子供向け絵本は、写実的な絵が描かれていたのですが、不必要なものを削り、根本的な要素だけでのデザインや赤、青、黄、緑、白といった少ない色数での彩色などブルーナ独自の画風が生み出され、子どもたちの支持を集めていきました。
「ミッフィー展」を見に行ったのです。
日本でも高い人気を誇るディック・ブルーナさんのミッフィーですが、第1作「ちいさなうさこちゃん」の初版本が出版されてからちょうど60年になる今年、展覧会が開かれることになりました。
オランダのユトレヒトに生まれたブルーナ(1927~)は、父の経営していた出版社でグラフィックデザイナーとして活動を始めます。会場にはデザイナー時代の作品や、妻イレーネのために描いた「朝食メモ」などが展示されていました。
その後絵本作家として歩み始めますが、この頃の子供向け絵本は、写実的な絵が描かれていたのですが、不必要なものを削り、根本的な要素だけでのデザインや赤、青、黄、緑、白といった少ない色数での彩色などブルーナ独自の画風が生み出され、子どもたちの支持を集めていきました。
初版から8年後の1963年に、第二版のnijntjeが出版されます。このとき、絵本の形は正方形になり、文字によるストーリーも追加されます。何より特徴的なのは、nijntjeが今の姿になっていることです。オランダで出版された翌年、1964年には翻訳されて日本でも出版されます。石井桃子さんによるタイトルの訳が「ちいさなうさこちゃん」で、以降福音館書店から出版されたnijntjeシリーズでは、訳者が松岡享子さんに代わってからも今現在まで「うさこちゃん」と訳されています。
※うさこちゃんのことを何故「ミッフィー」というのかというと、nijntjeがイギリスで出版された際に英訳したものが「miffy」なのです。日本では講談社による翻訳本では「ミッフィー」と表記されており、NHKでも放送されたテレビアニメやキャラクターグッズでも「ミッフィー」の表記が使われているので、いつの間にか「ミッフィー」が主流になった感じを受けます。
ミッフィーの第一作となった「nijntje」の初版本から60年が経つのですが、その後も次々と物語が作られていきました。今では30作以上もあり、2000年代に入ってから出版されたものもあります。そして、ミッフィーの形も初期のころと比べて少しずつ変化してきています。
ミッフィーのいくつかの絵本について、多くのスケッチや原画が展示されていました。・当初は白い紙に明瞭な線で輪郭を描いた後に彩色していましたが、その後の原画は線のみとなり、印刷時に色紙による彩色を施すようになったのです。1冊の絵本は多くのデザインやスケッチから作られているのですね。
ブルーナさんの多くの原画の他に展示されていたのが「ミッフィーのアートパレード」で、真っ白なミッフィーにオランダと日本のアーティストやクリエーターがペイントや装飾を施したものでした。このブログのトップ写真は、展覧会場入り口に展示してあったミッフィーのデザインなのです。そして、写真撮影OKのコーナーには、2013年に公開された映画「劇場版ミッフィー どうぶつえんで宝さがし」に使われた人形やセットの展示もありました。