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ビリギャル

今日は夏至でしたね。蒸し暑い1日でした。
映画のレビューが相変わらず遅れていますが・・・この作品はまだロングランで上映されているようですね。

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名古屋の女子高に通うお気楽女子高生のさやか(有村架純)は全く勉強せず、毎日友人たちと遊んで暮らしていた。今の状態では大学への内部進学すらままならないと案じた母は、さやかに塾に通うよう言いつける。彼女は金髪パーマにピアス、厚化粧にミニスカートのへそ出しルックで渋々入塾面接に行き、教師の坪田と出会う。
ハナミズキ』などの土井裕泰が監督を務め、塾講師・坪田信貴の「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」を映画化した感動作。成績学年最下位の女子高生が、ある教師の励ましで慶應義塾大学合格というむちゃな目標に向かって突き進む姿を描く。『女子ーズ』『ストロボ・エッジ』などの有村架純が偏差値30の金髪ギャルを熱演。落ちこぼれ女子高生が、人生の一発逆転を狙う笑いと涙の物語に夢中になる。

原案となった塾講師の著作は読んだことがないのですが、受験がテーマだし、正直見る前はあまり期待していませんでした。結末も分かりきっていましたし・・・
でも、見終わった時にはなんとも言えない爽やかな感動と余韻があったのです

「ビリギャル」については今年になってホントにいろんなところで話題になっているかと思いますが、まずは「どれほどの『ビリ』なんだろうか」というところが、世間一般でイメージされる「ビリ」とは違うと思われます。
映画の序盤に描かれるのですが、主人公のさやかちゃんは中学受験に成功しているという事実がありますので(彼女が通っていた学校は映画では架空の名称になっていたし、原作本にも明記されていないそうですが、名古屋の三大お嬢様学校の1つと言われているようです)潜在的な能力はあったのでしょう。でも、せっかく入った学校で遊びまくっているうちに、どんどん転がり落ちてしまったのですね。坪田先生は、眠っていたその能力を最大限に引き出して、合格へと導いてくれたのだと思います。
そんな彼女がさまざまな紆余曲折を経て慶應大学合格へ向けて決して夢を諦めずに突き進む、というまっすぐな姿が昔の自分とオーバーラップして感動したんだろうなぁ・・・と思います。お母さんのまっすぐな愛情と、野球少年の弟にばかり目を向ける正反対な父の態度、弟の挫折、友人の支え、予備校で出会った仲間・・・過酷な受験戦争は時に賛否両論の議論を巻き起こしますが、「合格」というシンプルな結果を追い求めるだけにその途中の過程がドラマチックになるんですよね。受験生ひとりひとりが主人公で、夢に向かってひた走る・・・でも決して順調なばかりではなくて山あり谷あり・・・有村架純さん演じるさやかちゃんは、「あまちゃん」の時とは違ったキャラになって、それを体現してくれたと思います。

ところで私自身の受験を振り返ってみると、ビリギャルほどではないのですが、結構受験に際しては奇跡を巻き起こしているのです人生のフシギ体験はほぼ受験にまつわるものだと思います。

1.高校受験編(人生の最初の受験は高校です。中学受験はしていません)

千葉の県立高校が第一志望で、塾もそのクラスに入っていたのですが、塾の先生は「公立とその併願校の受験だけではダメ」と強硬に主張、結果的にそのクラスのほとんどのメンバーが「ハイレベルな学校のチャレンジ受験」をさせられるハメになり、私も自爆覚悟で某国立高校に出願させられました。偏差値は全く届かないし、通える距離じゃないし、どうせ受かるはずがない(中学校の担任には「塾で進められたんですよね。どうぞ勝手にやってください」と言われる始末)・・・と思って臨んだ1次の学科試験。もちろん手ごたえは全く無く、ただ「人生で初めて東急東横線に乗った」というだけの思い出に浸って帰ってきてから数日後、まさかの1次試験合格を手にしてしまったのです。翌日、全く対策を立てていなかった2次の面接試験を受けに行き、結果はそこで不合格だったのですが、それまでの数日間「都内に下宿しようか」という夢を見させていただきました。その後は無事に県立高校に合格しました。

2.大学受験編

高校の男女比は4:1という、ほぼ男子校状態の学校で過ごしていたのに、ナゼか高3になったら女子大を第一志望にしてしまったのですが、常に「中の下」の成績をキープ、特に数学は赤店スレスレの低空飛行だったので、高3の個人面談で母は「第一志望より偏差値が20近く下の学校」を真剣に薦められてしまったそうです。
そんな状態で突入したセンター試験では、ありえない低い点数をたたき出してしまいました。幸いにも志望者が「足切り」を実施する程殺到しなかったので、2次試験を受けに行くことはできましたが、どう計算しても「2次試験でほぼ満点」を取らない限り合格は不可能との予測。予備校の先生も「それでも受けるんだね?」と言うしかなく、私自身も「どうせ落ちて浪人するんなら、受けたいところを受けて玉砕しよう」と思ってそれでも2次試験までの1ヶ月をちょっとあがいてから受けにいきました。結果はまさかの合格その後大学のクラスメートとセンター試験の点数の話題になった時に「え、その点で受かったの?」とビックリされました。やはり私がセンター最低点での合格だったようです。だからセンター試験だけはもう2度と受けたくない試験ですね。

3.就職試験編

バブルがはじけて就職難真っ盛り。でも気がついたときには公務員試験にも間に合う状態ではなく、民間企業に履歴書を片っ端から送るしか方法はありませんでした。
理系学部だと「研究室の教授の推薦」で就職が決まるという話もよくありますが、それは「企業にとって使える」研究内容の研究室でなければいけません。私がいた学科には、そのような研究室は皆無でした(大学受験の際に、そこまで調べて受けることはしなかったですから)。そして、不景気の波に飲まれたあの時代、正社員としての就職が決まらず、期間限定の研究補助員としての就職に落ち着いた同級生も多かった中、ナゼか決まってしまいました。内定をもらった後、人事部から「実質倍率26倍の難関でした」と言われて、どうしてコネもなかった自分が受かったんだろうと思ったものです。なんだかこれまでの人生、受験で運を使い切ってしまったのではないか・・・と。

結果的に、それからわずか数年で乳がんの診断を受けることになってしまい、それから数年後に奇跡的に入社できた会社も辞めることになったのですが、運の良し悪しという面では帳尻を合わせたのかもしれません。

またビリギャルみたいに奇跡の合格を手にできないかなぁと思うのですが、それにはかつての自分にあった「努力」が伴わないと付いてこないんですよね。