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年末年始修学旅行 その2 ~法隆寺~

2015年の最終日は,朝からハードスケジュールの予定です。
神社仏閣というものは,朝は早くから開いていますが閉まるのは早いので普段の我が家の休日の生活リズムでは行きたいところを回りきることはできません。
というわけで,朝は6時半には起床し,7時の「東横インの無料朝食サービス」開始と同時に食べ始め(この時点で朝食会場のロビーは満席),7時半過ぎには近鉄に乗っておりました。
電車とバスを乗り継ぎ,最初に到着したのは「法隆寺
聖徳太子が創建した歴史の教科書では最初に出てくるお寺かと思います。

到着したのはまだ朝の8時半でしたので,境内は人も少なく凛とした空気が漂っていました。
私が法隆寺を訪問したのは,実に25年ぶり。1990年,高校2年の秋に修学旅行で行った時以来です。
その時は五重塔と金堂の荘厳なたたずまいに圧倒された記憶があるのですが,今回も南大門を入ったあたりから五重塔と金堂が見えてきて,記憶がよみがえってきました。

その前に,まずは飛鳥時代に造られた国宝の中門です。

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ここから先に入るのには拝観料がかかります。 西院伽藍,大宝蔵院,東院伽藍と合わせて1,500円かかるので「随分高い拝観料だなぁ・・・」と一瞬思ってしまいましたが,その価値は十二分にある素晴らしいものでした。
西院伽藍は,高校の修学旅行の記憶がある五重塔と金堂(いずれも飛鳥時代の創建ですが,7世紀後半に建てられたものなので聖徳太子の存命中ではありません),その奥の大講堂(平安時代)と周りを囲む廻廊(飛鳥時代)から成り立っています。
まだ境内にいる人はまばらだったので,お寺の方が丁寧に説明をしてくださいました。

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修学旅行の記憶,といっても外観の記憶しか残っていなかったので,
改めてその建築様式や中の仏像の話を聞くことができて,あらたな発見がいろいろありました。

五重塔の最下層の内陣には、奈良時代のはじめに造られた塑像群があること,仏舎利が分割されていること。
金堂には法隆寺のご本尊であり,聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像飛鳥時代)と太子の父,用明天皇のために造られた金銅薬師如来座像(飛鳥時代)、
太子の母,穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、
それを守護するように樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背に静かに立っていること。金堂の窓の桟も飛鳥時代のものであること。

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いやぁ・・・古代史のロマンですねぇ。
ところで,お寺の方が「聖徳太子の両親」とおっしゃったときに,私の口からすぐに「用明天皇穴穂部間人皇女」の名前が出たので,夫が「なんでそんなマニアックな人名を知っているんだ?」と不思議がっていたのですが,私が歴女を自称していることを忘れてしまったのでしょうか(笑)
日出処の天子」を読んでいれば分かることですよね?!金銅釈迦三尊像を造った鞍作止利(くらつくりのとり)の名前も日出処の天子に出ていました。
さすがにここに来てまで「聖徳太子蘇我蝦夷は・・・」などとよからぬ想像の翼ははためかせませんでしたけどね・・・(笑)

西院伽藍を出てしばらく歩くと,突然近代的な伽藍が現れます。
平成10年に落成した「大宝蔵院」で,中はもう国宝だらけ
歴史の教科書でしかお目にかかれないモノのオンパレードです。
玉虫厨子飛鳥時代)に百済観音像(飛鳥時代)がビッグ2といえますでしょうか?
他にもたくさんの宝物があり,教科書に出てくる「聖徳太子の肖像・・・正確には聖徳太子及び二王子像のレプリカ」(昔の1万円札の聖徳太子の顔も同じ感じ)もありました。

大宝蔵院を出て,東大門(これも奈良時代創建の国宝)を抜けて少し歩いたところに,東院伽藍があります。ここにある代表的な建物が「夢殿」で,聖徳太子が住んでいた斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍の中心とされています。八角形の円堂で,聖徳太子を供養するための殿堂となっています。

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なお,聖徳太子が存命中に建てたといわれる伽藍は若草伽藍と呼ばれていますが現在そこには建物はありません。西院伽藍南東部の境内から発見されています。

もっとゆっくり時間があったら,半日ぐらいはじっくり眺めていたかったのですが,そうもいっていられず9時半過ぎにはバス停へと向かいました。ちょうど中国からの観光客ご一行がワラワラと入ってきて一気ににぎやかになったので,静かなうちに見学できたのは良かったと思います。
法隆寺に残る仏像(特に飛鳥時代のもの)は,中国からの渡来人が造ったものです。なので,中国発の仏像を見ようと参詣する中国人は多いそうです。

さて,法隆寺の次に向かったお寺についてはまた書きますね。