As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

沼津港と韮山反射炉

春休みよりも前にドライブに行った時のことを書き忘れていました

新しいホンダのシャトルが納車される前にスパシオをもう一度遠距離ドライブに連れて行きたい、ということになったのです。

娘は2月から日曜は朝から夕方まで塾が入ってしまいましたが、塾の間に行ってくることにしました(笑)
塾が始まる朝9時頃に横浜を出て東名高速に乗り、御殿場までは一時間ちょっと、そこから更に少し行った沼津ICで高速を降りて海に向かいました。駅の周辺は多少混んでいて思ったより時間がかかりましたが、11時頃には「沼津魚市場」に到着しました。
雲っていますが富士山が見えます。

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平日だと活気あるせりの様子も見学できるようです。
築地のせりは外国人観光客にも人気ですよね。
そして魚市場に面した通りはたくさんのお店で賑わっています。
沼津の名物「アジの干物」もそこら中のお店で売っていて安かったので迷わず買ってしまいました。

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さて、お店が混み始める前にお昼を食べなくてはいけません。あまり閑散としたお店だとホントに美味しいのかな?と心配になるけど、行列のお店だと遅くなってしまうし…
ウロウロしながら決めたお店は「さすよ亭」
私はお刺身定食、夫は海鮮丼です。娘は未だに刺身をほとんど食べない(だから寿司屋は好きだけどマグロは食べない)ので、娘が羨ましがることのない海鮮モノを食べる為に沼津に行ったのでした。

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沼津を出たあと、まだ帰るには時間があるので伊豆の国市へ出ました。
このあたりはイチゴ狩り農園がたくさんあるのですが、イチゴ狩りは1月にやったので、ここではお土産用のイチゴを買うだけにしました。

それから話題のスポットへ。
突如として観光客が訪れるようになった「世界遺産 韮山反射炉

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昨年「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界遺産に登録されました。
八幡製鉄所とか軍艦島、炭鉱など九州、西日本がメインとなる世界遺産のイメージが強いですが、静岡県にも存在したのです。

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反射炉とは、金属融解炉の一種で18世紀から19世紀にかけて鉄の精錬に使われました。現在は転炉等にとって変わられ、鉄の精錬をすることはありませんが、銅の精錬には使われているそうです。
鉄鉱石から高炉で取り出した鉄は「銑鉄」と言われ、硬いのですが脆くて割れやすい欠点があります。古来から日本にはたたら吹きの技術があり、この方法で鋼を造りして日本刀ができていたのですが、農業に影響が出るほどの大量の木炭を必要とし、また出来上がる鋼の量も充分ではありませんでした。

そして、1840年アヘン戦争に危機感を覚えた韮山代官江川英龍は海防政策の一つとして、鉄砲を鋳造するために必要な反射炉の建設を建議、1853年の黒船来航を受けて、江戸幕府直営の反射炉として築造が決定されました。

1853年、伊豆下田にて築造が始まりましたが翌1854年、下田に入港したアメリカ・ペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入したため、築造場所が伊豆韮山に変更されました。1855年江川英龍が死去すると、跡を継いだ息子の江川英敏が築造を進め、1857年に完成し、1864年まで鋳造に使われたそうです。その後日本で唯一現存する実用反射炉として国の史跡に指定され、世界遺産にも登録されたというわけです。

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それにしても、世界遺産登録まではおそらくひっそりと立っていたであろう反射炉ですが、あわてて駐車場が整備され、お土産屋やレストランが立ち、近くの小高い山を登ると「富士山と反射炉、フタツ世界遺産を一望できる」という展望台までできていました。反射炉自体は外側を見ただけで終了なので5分もその前にはいなかったのですが(笑)、その後はみんな展望台に上がり、お土産屋さんになだれ込んでいました。反射炉チョコレートとかクッキー、反射炉卵(箱根の黒玉子のパクりか?)など、とりあえず反射炉と付いたお土産がたくさん置いてありました。

帰り道もさして渋滞することなく、娘が帰宅してからそれほど経たずに私たちも帰宅でき、スパシオは最後の長距離ドライブを終え、総走行距離を15万キロとして新しい車にバトンタッチされることになりました。