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「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

正岡子規記念博物館

お城を出た後、次の目的は道後でした。でも、道後温泉に入るのではなく「子規記念博物館」に行ったのです。

(その前にジブリグッズの店「どんぐり共和国」にトラップされてしまい、オオトリさまやジジのグッズを買ってしまったのですが…)

子規記念博物館も私は以前に来たことがありますが、娘は初めてです。
もう中学生になるのですから、そろそろこういう文学的なことにも触れておいた方が良いと思いまして

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正岡子規と言えばもちろん俳句なのですが、わずか35年のその生涯は多彩なものでした

新聞社に入り日清戦争の従軍記者となり、脊椎カリエスで寝たきりになっても記事を書き続けていたこと、
小説、短歌、写生文、絵画も手がけていたこと、
ペンネームを多数持ち、そのうちの一つが「漱石」で、夏目漱石ペンネームとなったこと、
夏目漱石とは帝国大学(現在の東大)の同級生で、漱石が子規の母校の松山中学(坊っちゃんの舞台、現在の松山東高校)で教鞭を取っていたときの下宿に子規が結核の療養で滞在していたこと。

子規の東京の家には多くの弟子たちが集まり、俳句や短歌の会が開かれたこと、
文学雑種「ホトトギス」は最初は松山で創刊され、後に子規の弟子高浜虚子らが引き継ぎ東京で作られるようになったこと、
そして何より「野球」を日本に広めたこと

現存するたくさんの直筆の書簡や写真を眺めていると明治に生きた文学者たちの姿がよみがえってきます。もっともその顔は国語の資料集にも出てくる子規の横顔ではなくてドラマで子規を演じた香川照之さんの顔になってしまっているのですが…

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子規が東京に構え、亡くなるまで住んでいた家は台東区の根岸にあり、今でも「子規庵」として保存されています(一方、17歳まで住んでいた松山の家は松山市内の正岡家の菩提寺に復元され「子規堂」と言われています)
上野公園内には「正岡子規記念球場」もあります。せっかく松山の子規記念博物館に行ったのだから、今度上野に行った時にはパンダだけでなく子規の東京での足跡もたどってみたいものですね。