As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

ハンドベルはやめました

関東は夏休みに入ってからすっきりしない天気が続き、暑さも鳴りを潜めている日が多く、猛暑続きの西日本とのギャップが激しいと思います。
私の仕事は夏休み中は殆ど在宅ワークなのですが、それをいいことにこれまでグダグダと無意味な日々を過ごしてしまい、こんなではダメだからせめてピアノでも弾こうかと毎年恒例なのですが、この時期だけ自宅の電子ピアノの蓋を開けています。
特に今年からは、下手の横好きの楽器はピアノ「だけ」になってしまったので…

少し前のことになりますが、私は6年ちょっと入っていたハンドベルのグループをやめました。
表向きには「休会」となっていますし、しばらく休む理由としては、

「春から仕事が変わったのだけど、実際に始まったらベルとの両立は予想以上に大変だった。練習日に仕事を入れないようにする等の対応策は不可能ではないが、今の自分には全力で向き合う自信がないので、仕事に注力したい。また戻れる状況になれば戻る」

ということにしたのですが、どうやらメンバーには私の本当の気持ちが見えてこないような印象を与えてしまったようで、私自身も言っていながら苦しい言い訳だなぁと思っていました。
そして、休会というのはあくまでも表向きであり、自分の中では「卒業、というか退学?」ということで結論が出ていたのです。

そもそものきっかけは、娘が幼稚園に通っていた時の母親の親睦サークルでした。宗教色が強い楽器のため、ミッション系の学校出身でもない限り触れる機会が限られてきますので、私にとっては当然初めて触れる楽器でした。そしてそれまでは「結婚式の余興でやってる楽器」という程度の認識だったのですが、余興で使われていたベルと本物の楽器のベルは全然違い、ピアノや吹奏楽等にはない面白さに惹かれてここまで続いてしまったのです。

しかし、親睦という側面が外れると、当然「音楽性」を高めていくことになります。ホールでのコンサートを始め、外部での演奏機会も数回ありましたが、余興のようなご愛嬌ではすみません。そして、ハンドベルの難しさというのは「一人が1パート」を務めるために、その全員が同じように向かい合わないと音楽を作るのが難しいという点でした。もちろん吹奏楽やオーケストラでも要求されるとは思いますが、ハンドベルではより顕著に出てしまうのです。そして、学校の部活動と違って、メンバー各自の状況はそれぞれ異なってしまうので、ベルに対するウエイトや取り組み方にズレが出てしまいます。

それだけでなら、自分の努力でなんとかなったかもしれません。でも、始めてからだいぶたってから気がついてしまったのです。それが、

「術側の右腕への負荷が大きすぎる。それを庇うために身体全体に変な負荷がかかっている」

ということでした。
ハンドベルの音楽を作り上げる要素の1つとして、

「メンバーが皆同じような正しいフォームで打つ」

ということがあります。打ち方が同じ(そして正しいフォーム)であるからこそ、同じような響きの音が重なるのです。そして私のフォーム(特に術側である右側)は、他のメンバーとは微妙に違っていました。
これが最初から分かっていたらグループに入ることはなかったでしょう。でも指導者の先生だけでなくベテランのメンバーさんにも指摘されるようになると、

「マズイなぁ、でも今さらこんなこと言えない」

という状況に次第になっていきました。自分でもそれなりの努力はしていましたが、どうにも右側のフォームは何だかおかしいままでした。そして、ハンドベルという楽器の難しいところは、自分が抜けるとメンバー全体の担当する音の配分を変更しなければならず、他のメンバーにも大きな迷惑をかけてしまうことです。

そのような状況ながらも、今年の春に大きな節目となるコンサートが終わりました。だからこれを機にグループから抜けようと密かに決めていたのでした。
もちろん一緒にグループに入ったママ友には引き留められました。グループのとりまとめ役員さんにも話が聞きたいと言われて、上記の「表向きの理由」を話したのですが、なんとも曖昧に受け取られてしまったような気がします。でもこのまま押し通すしかありません。そして「また戻ってくるのよ」と言われながら休会の手続きを取り、メンバーみなさんに挨拶し、コンサートの打ち上げには出席してきました。

これまでご指導くださった先生には、休会することを話したときに「実はずっと昔に右側の腕の周辺を手術しているのです。それから何となく右側の動きがぎこちなかったり、負荷がかかりやすくなっていましたが、グループに入ってからそのことに気がついて、でもそんな後だしじゃんけんみたいなこと言えませんでした」とは伝えました。先生はそれで、右側の動きについて分かってくださったようで、それなりの対処法はあるとおっしゃってくださいましたが、私にとってはなかなか難しいだろうと感じます。

今は、ひとつの楽器を演奏する機会を手放してしまったことは寂しくはあるものの解き放たれてほっとしている自分がいます。これからは観客としてコンサートを聴く方に回ります。メンバーから「いつ帰ってくるの?」と聞かれたらかわしていくしかないでしょう。全摘してリンパ郭清し、シリコンを入れた術側は何年経っても健側と全く同じというわけにはいきませんでした。そして、先生にも「何の手術」だったのかは最後まで話せなかったし、メンバーには今後も話すつもりはありません。その病名がタイムリーワード過ぎて話に尾ひれが付きそうだからです。今の私の日常生活では95%の周囲の人が私の乳がん既往歴など知らないし、地域社会で流れることにはリスクの方が大きいです。そのことを話せる友人知人は別の場所にいるからそれでいいのですよ。

もちろん、ピアノを弾くにも術側への負荷はかかりますが、ピアノは個人プレーですから、フォームについて気を使う必要性は少なくなります。何より女子大に通っていた時の仲間同士でコンサートをするというのが気心が知れていて楽しめるので、さぁこれから練習がんばろう!とおもえるのです。