As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

新しい時代の幕開け

早くも「令和」になってから5日目になってしまいました。
そして旅の疲れもだいぶ取れてきたところで、仕事の準備が全然できてない…❗

平成最後の日のことは、前回鳥羽水族館まで書きましたが…🐡
朝9時に水族館に入ったおかげで、午後2時ごろにはあらかた見終わっていました。
そこで、水族館を出て、隣の「ミキモト真珠島」へ💎

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志摩半島は有数の養殖真珠の産地ですが、初めて真円の養殖真珠の育成に成功した御木本幸吉の業績を記念し、真珠博物館や真珠のお店、カフェや御木本幸吉の生家を再現したものなどがあります。

その中でも「真珠博物館」は面白かったです。

真珠は、貝からつくられる宝石ですが、天然真珠ができる仕組み、どんな貝でないと真珠ができるのか(代表的な貝が「アコヤガイ」ですね)、そして養殖真珠はどうやって作るのか、など詳しく解説され、養殖真珠を作る際に行われる「核入れ」の実演がありました。

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そして、海女さんによる実演。
養殖に適した母貝を探したり、養殖真珠を作るために核入れをした貝の育成など、かつて真珠を作るのに海女さんは欠かせない存在でした。
現在の真珠の養殖には海女さんが関わることはないのですが、元から志摩半島の海の恵みとともにあった海女さんの存在を今に伝えるために、デモンストレーションを行ったいます。
3人の海女さんが巣潜りの貝の採取を見せてくれました。
この日の海は風が出ていましたので、海女さんの乗った船は木の葉のように揺れていました。

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朝、伊良湖岬から鳥羽まで渡ってきたフェリーも通りかかります。
朝ドラ「あまちゃん」は三陸が舞台でしたが、北限の海女と言われています。

真珠博物館では、養殖真珠の育成についての生物学的な解説の他、宝石としての真珠についてももちろん展示されていました。

古来から真珠は宝石として、多くの上流階級の人々を彩ってきました。
そして、明治時代に御木本幸吉が真珠の養殖を確立するまで、天然真珠に頼るしかなかったわけですが、天然真珠は貝が作る偶然の産物ですので、それは貴重な存在だったのです。

養殖真珠が一般的になった今でも、質の良い真珠ができる確率は限られます。
核入れをした貝のうち、2年間の育成を経て生き残っているのはわずか半分、生き残った貝の中にも必ず真珠があるとは限りません。海中の不純物が混ざってしまい、宝石としての価値が無いものもあります。大きさ、輝きなど宝石として高い価値の真珠が取れる確率はかなり低いのです。
そして、真珠の採取とともにこれまで育成してきたアコヤガイは死んでしまいますので、貝柱等は食用になります🐚

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真珠博物館では、真珠で彩った数々の作品も展示してありました。
五重の塔や法隆寺の夢殿を再現したものです。

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そして、真珠のショップには大変高価な真珠のアクセサリー💍の数々がありましたが、私は手の届く範囲で、真珠をあしらったスマホアクセサリーを買いました。

ミキモト真珠島の後は、車で30分ほどの伊勢まで行き、夫の祖母宅に到着しました。
伊勢神宮には昨年来参拝していますので、今回は行っていません。
(が、赤福はちゃんと買いました🎵)

ちょうど、天皇陛下の退位の式典が始まったので、大正生まれの義祖母や親戚の方々と一緒にテレビを見ました📺
安倍総理がエラく緊張しているように見えました。
そして、昭和が平成になった時との違いをしみじみと感じました。
元気なまま義祖母が令和の新時代を生きることになり、本当に喜ばしいことです。

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平成最後のディナーはうなぎ。
10人以上集まって賑やかにいただいた後で、予約したホテルへ向かい、テレビでカウントダウンを見ました。
ちなみに、愛媛でうなぎを食べると、当然ながら「関西風」の焼き方で、皮がパリっとしているのが特徴です。そして、東京のうなぎは、一度蒸してから焼くのでふわっとしたのが特徴です。
三重県静岡県はちょうど境目なので、関東風と関西風のお店が混在しています。
今回いただいたうなぎ屋さんは、関東風とのことでした。