As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

ピアノ・レッスン

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昨日、銀座のクリニックのサロンでずいぶん長いことおしゃべりをしていたのですが、慌てて延長保育に行っていた娘を迎えに行き、帰宅ももどかしくすぐに次の場所に出かけました。

5歳になり、これまで習っていた英語教室のほかに、もう1つ習い事を増やすことになったのです。
それがピアノ。

女の子にさせたい習い事として、今も昔も不動の人気を誇るピアノ。


私自身は4歳のころ先生の家にレッスンに通い始めたそうです。ヤマハショールームに両親とピアノを見にいったことはおぼろげな記憶にあるのですが、最初に習った先生のことはもうほとんど覚えていません・・・その先生のところに幼稚園時代に通っていたのですが、やがて先生が妊娠して教室をやめてしまったので、その後はヤマハ音楽教室の中にあるピアノ個人レッスン部門に通い、さらに転居してから個人の先生のところに中学生になるまで通っていました。実はこの先生はかなり厳しい先生だったのですが、私と妹はこっそり家で先生のことを「ミンチン先生」(小公女セーラに出てくるコワい院長先生の名前)と呼んでいたのですね(笑)
私自身はピアノに関してはあまり苦痛に思うことなく続けられたのですが、もちろん実力的に音大を狙えるレベルでもなく、それ以前に手が小さくて「オクターブが届かない」という致命的な欠陥にも見舞われました。で、ありがちなパターンですが、中学のときに高校受験を控えてレッスンを辞めました。
その後、高校時代は空白だったものの、大学が女子大だったこともあり「ピアノサークル」があったのでそこで再びピアノに触り始めました。

社会人になって最初の冬のボーナスでヤマハクラビノーバを購入、それは今でも自宅にありますが、だんだんと使われなくなっていったありさま-楽譜の代わりに映画のパンフレットや生協のカタログが並んでるよ・・・

一方の娘も、これまでピアノには興味がなかったのですが(なにしろ、幼稚園にはピアノがないのでね)その娘が突然「ピアノをやってみたい」と言い出したきっかけは、先日のハンガリー舞曲の演奏会」がきっかけでした。私がめずらしく真面目にピアノに向かったので興味を持ったようです。

興味が出てきたら、やらせよう。と思っていたピアノですが、先生のめぼしもついていました。
周囲の子どもは「ヤマハやカワイの音楽教室」に通っている子も多かったし、私も考えなくもなかったのですが、結局行くことはなく、もし今後ピアノを習うとしたら、自宅からも近いのでお願いしたい先生がいたのです。
幼稚園の「お母さまのハンドベル部」の先生。音大出身の先生は、いくつかのハンドベルのチームのご指導はもちろんですが、ご自宅でのピアノ教室もされていました。私は先生にお話を伺って、あいている曜日と時間を聞いていたのです。そして、11月中に一度レッスンの様子を見学させていただき、12月からスタートすることにしました。

真新しいテキストが3冊用意されていました。うち2冊は弾くための教則本で、1冊は楽譜の読み方や音符の書き方など楽典の初歩を習うためのテキストでした。

私が子どものころ、初心者のピアノ教則本といえば「バイエル」だったでしょう!
赤バイエルと黄バイエルというのがあったんですよ。
バイエル→ブルグミュラーソナチネソナタと進むのが王道だったのです。

でも、今は「バイエル」はあまり使われていないそうです。

バイエルの進み方だと、すぐに難しくなっちゃうので小さい子はついていけないのだとか。

最初のレッスンは、ひたすら『ド』」でした。ドの位置を覚えることから始まります。
ドを何回か弾いて、休符で休む。でもまったく初めて見るものなんですよね。
私はいつの間に楽譜を読めるようになっていたのだろう?気がついたときには五線譜の読み方が分かっていたなぁ、両親はそれだけ早い時期に始めてくれたのでしょう。今、ひらがなやカタカナを覚えていっているように、自然に楽譜が読めるようになってくれたらと思います。楽譜が読めることで人生損することはないですからね。