As You Like It     ~気が向くままに~

「ふるぼう」のブログがYahooから引っ越しました。

ちびまる子ちゃんは永遠に

いやあ・・・ビックリしましたよね。フェイクニュースじゃないかと思うほどビックリしましたよね。さくらももこさんの訃報です。

こちらのブログにも何度か書いたかと思いますが、私の大学時代のニックネームは「まるちゃん」です。もちろんちびまる子から取ったものです。
ちびまる子ちゃんはまさに平成を駆け抜けていった作品だと思いますが、テレビアニメ第一期が始まったのは平成2年。おどるポンポコリンが空前の大ヒットとなり、高校生だった私は良くカラオケで歌っていたのです。映画の第1作「大野くんと杉山くん」を見に行って泣き笑いしたのも高校生のときです。


高校では本名で呼ばれていた私が、女子大に入ったら「まるちゃん」と呼ばれるようになったきっかけは、同じ学科内に3名同じ名前がいたからでしょうか?もちろんちびまる子好きをアピールしたのもその理由です。冷静に考えてみれば、メガネっ子で冴えない風貌の私は、ちびまる子キャラの中では、実は「みぎわさん」がしっくり来るのではないかという疑惑がありますが、何はともあれ「まるちゃん」は定着し、今でも当時の友人からは「まるちゃん」と呼ばれているのです。私を一瞬で学生時代に引き戻してしまう言葉が「まるちゃん」でした。
(ちなみに、ハンドルネームの「ふるぼう」は新卒で入った会社でつけられたニックネームです)

イメージ 2

社会人になってからはちびまる子を毎週見ることも次第に無くなりましたが、彼女のエッセイは初期の作品を中心に買っていました。結婚のときにはちびまる子全巻と多くのエッセイ本を実家から持ってきました。妊娠・出産について書いた「そういうふうにできている」は、私も妊娠中に何度も読み返していましたし、「あこがれのまほうつかい」を読んでから、エロール・ル・カインの絵本を買い、原画展にも足を運びました。家においてあったちびまる子とエッセイ集は、その後娘も全部読んでいました。ここ数年の新作を手に取ることはなかったのですが、様々な新しい試みをしていたことは伝わってきました。合唱コンクールで歌われる曲の作詞も手掛けていましたね。

ちびまる子の誕生日は5/8なのですが、私の誕生日は5/7です。そんなところにも勝手に親近感を抱いていましたが、彼女の命日は8/15。18年前のその日に私は全摘手術を受けました。

エッセイに書かれていたこともあり、「まさか、水虫をお茶っぱで治したり、痔をドクダミで治したみたいに、がんを変なもので治そうとしたんじゃないよね?飲尿療法でがんの根治を目指したりしてないよね?」と頭をよぎったのですが、一部週刊誌報道によれば、10年近く病気と向き合ってきたとのこと。ごく親しい方以外には知られることもなく、これまでと同じペースで精力的に仕事をしていたそうです。
2年前にお姉ちゃん役の水谷優子さんが同病で旅立ったときには、心に去来するものがあったでしょう。西城秀樹さんも亡くなり、その時は自分もヒデキのそばに行く日が遠からず来る…と覚悟されていたかもしれない。「現代の清少納言」と言わしめた彼女の独自の視点、軽妙な文体の闘病記録を読むことができたら、病気体験も笑いばかりになってしまうかと思ったけど、ちびまる子のイメージが大きくなりすぎました。ご両親と息子さんに看取られ旅立ったという記事には、父ヒロシと母すみれがまる子を看取る姿しか思い浮かびません…せつなすぎます。

日本中に衝撃を与えたこの訃報、私をリアルで知っている方の中には私を思い出した人がいるのではないか、特に私を「まるちゃん」と呼んでいた友人はほとんどが私の乳がん罹患歴を知っています。この病気は生活習慣だけで避けられるものではない、ベストだと思える治療(エビデンスに基づくもの)を選択しても再発しない保証はない、10年過ぎても15年過ぎても再発リスクがゼロになることはないーだから、ここにいるまる子もどきは、これからも日々を大切に悔いのないように大切に生きる。そのことを改めて心に刻みたいと思います。

最後に、ちびまる子のエピソードには多々笑わせてもらいましたが、敢えて1つ選ぶならこれかな(笑)

イメージ 1


おとし玉 → おとし王 → おどし王❗

どうにも笑いが止まりませんでした。

平成最後の夏が去り行くとき、さくらももこ先生のご冥福を心よりお祈りいたします。